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提案者基調 |
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この議題は難しすぎる(苦)。 発言番号:2 名前:もふ 19歳 2004年04月09日13時53分 この議題は難しすぎる(苦)。 |
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生きてる人間に聞いてなんの意味がある? 発言番号:3 名前:仁 30歳 2004年04月13日19時08分 タイトルの通りだね。生きている人間に死んだらどうなるって聞いても 答えはでない。所詮は想像。答えはいくつもあるしいくつでもできる。 これを踏まえて聞いていただきたい私の【想像】です。 科学的に死ぬということは脳が停止して、完全に心臓が止まってしまう 現象、または行動を差します。脳が止まってしまうのだから、思考は 停止して、永遠に眠った状態(当然夢は見ません)ですね。でも眠るという表現は少しおかしいですかね。生きていれば、夜眠って、朝がきます。そして目を覚まし、自分が眠っていたことを【実感】できます。 でも死んでしまえばその【実感】がありません。存在が確かめられません。これが【死ぬ】ということです。消滅です。悲しいですが、 きっとこれが事実です |
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ということは? 発言番号:4 名前:ゼロ 30歳 2004年04月22日20時20分 消滅してしまうのであれば、霊は存在しなくなりますよね。沢山いる霊媒師の方たちは、自分の妄想で霊を見ているのでしょうか?臨死体験 というのは、夢なのでしょうか?実際死んで見ないとわかりませんね。 |
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・・・・・・・・ 発言番号:5 名前:匿名CR 34歳 2004年04月22日23時31分 おそらく仁さんの仰ることが真実に近いのだと思います。 死後の世界や幽霊なんかも脳が作り出す幻覚だと言う説もあるみたいですし。 でも私はどうしても納得がいかないのです。 私はなぜ私なのでしょうか? 私は自分の目で自分の体を見ることができます。鏡を見れば自分の顔を見ることが出来ます。当たり前です。でも何故、私の心(意識)は私の体に入ったのでしょうか? 私はS市のY家で生まれました。でも何故、私はS市のY家の子供でなくてはならなかったのでしょうか? 例えば、私の心が、宇多○○カルちゃんの体に入っていてもよかったのではないでしょうか(笑) |
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私も、すごく知りたいんです。 発言番号:6 名前:りかぼん 35歳 2004年05月07日01時26分 この間、息子が 11歳で亡くなってしまいました。大真面目に、死んでしまったらどうなるんだろうって、思っています。一人でちゃんとやってるんだろうか・・?とかすごく心配です。残されたものは手を合わせてやるくらいしかしてやれないんですもの・・どなたかお返事ください。 |
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生命は永遠である。 発言番号:7 名前:Believer 40歳 2005年03月26日10時02分 私は仏教を実践する、ある団体の一会員です。我々の仏法では、人間は死んだ後、何かの縁に触れて再びこの世に生まれてくると説きます。つまり、我々の生命は終わりもなければ始まりもなく、「過去」「現在」「未来」と、三世にわたって永遠に続くのです。私の団体の2代の指導者(「教祖」ではありません)が、次のようなことを述べられています。少々長くなりますが、引用します。 「『生命とは何か』『この世だけの存在であるのか』『それとも永久に続くのか』これこそ、永遠のナゾであり、しかも、古来の聖人、賢人と称せられる人々は、各人各様に、この問題の解決を説いてきた。桜の木がある。あの枝を折って、花瓶にさしておいたら、やがて、つぼみは花となり、弱々しい若葉も開いてくる。この桜の枝の生命と、元の桜の生命とは、別ものであるか、同じものであるのだろうか。生命とは、ますます不可解のものである。生命とは、宇宙と共に存在し、宇宙より先でもなければ、後から偶発的に、あるいは何人かによって作られて生じたものでもない。宇宙自体が生命そのものであり、地球だけの専有物とみることも誤りである。……アミーバーから細胞分裂し、進化したのが生物であり、人間であると主張し、私の説く永遠の生命を否定するものがあるであろう。しからば、灼熱の地球が冷えた時に、なぜアミーバーが発生したか、どこから飛んできたのかと反問したい。地球にせよ、星にせよ、アミーバーの発生する条件が備われば、アミーバーが発生し、隠花植物の繁茂する地味、気候の時には、それが繁茂する。しこうして、進化論的に発展することを否定するものではないが、宇宙自体が生命であればこそ、いたるところに条件が備われば、生命の原体が発生するのである。 ゆえに、幾十億万年の昔に、どこかの星に人類が生息し、いまは地球に生き、栄えているとするも、なんの不思議もないのである。……あるいはたんぱく質、そのほかの物質が、ある時期に生命となって発生したと説く生命観にも同ずるわけにはいかないのである。生命とは宇宙と共に本有常住の存在であるからである。 (人は)喜んだとしても、その喜びは時間が経つと消えてなくなる。どこかへいってしまったわけではないが、心のどこかへ溶け込んで、どこをさがしてもないのである。しかるに、何時間か何日間かの後、また同じ喜びが起こるのである。また、あることによって悲しんだとする。何時間か何日か過ぎて、そのことを思い出して、また同じ悲しみが生ずることがある。人はよく悲しみをあらたにしたというけれど、前の悲しみと、後の悲しみと、立派な連続があって、その中間はどこにもないのである。 同じような現象が、われわれ日常の眠りの場合にある。眠っている間は、心はどこにもない。しかるに、目をさますやいなや心は活動する。眠った場合には心がなくて、起きている場合には心がある。有るのが本当か、無いのが本当か、有るといえば無いし、無いとすればあらわれてくる。 前にも述べたように、宇宙は即生命であるゆえに、われわれが死んだとする。死んだ生命は、ちょうど悲しみと悲しみの間に何もなかったように、喜びと喜びの間に喜びがどこにもなかったように、眠っている間、その心がどこにもないように、死後の生命は宇宙の大生命に溶け込んで、どこをさがしてもないのである。霊魂というものがあって、フワフワ飛んでいるものではない。大自然の中に溶け込んだとしても、決して安息しているとは限らないのである。あたかも、眠りが安息であるとは言いきれないと同じである。眠っている間、安息している人もあれば、苦しい夢にうなされている人もあれば、浅い眠りに悩んでいる人もあると同じである。 この死後の大生命に溶け込んだ姿は、経文に目をさらし、仏法の極意を胸に蔵するならば、自然に会得するであろう。この死後の生命が、なにかの縁にふれて、われわれの目に移る生活活動となって現れてくる。ちょうど、目をさました時に、きのうの心の活動の状態を、いまもまた、そのあとを追って活動するように、新しい生命は、過去の生命の業因をそのまま受けて、この世の果報として生きつづけなければならない。 かくのごとく、寝ては起き、起きては寝るがごとく、生きては死に、死んでは生き、永久の生命を保持している」 「仏法の極意」とは、日蓮聖人というお方がお説きになられた「南無妙法蓮華経」(妙法)のことです。 この2代会長の弟子である、現在の指導者も「(この妙法があれば)『生も歓喜』『死も歓喜』と三世永遠にわたって絶対的幸福境涯を満喫していけるのである」と指導されています。 「死んだらいったいどうなるのか?」などと恐れる必要はないのです。 どうでしょうか? なにかを感じていただければ幸いです。 |
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命が実体でなければ死後は無い 発言番号:8 名前:伊知地充 50歳 2005年06月02日05時04分 私が「命って実体なのか」と問えば皆不思議に思うかも知れない。命ほど身近で自明な存在はないと思われるからだ。生きているのが事実ならその現れを担っている実体としての命を考えたくなるのは自然だし、われわれはそのような解釈にずっと従ってきた。しかし、命が生きているという「現れ」を説明するための便宜的な存在にすぎないとしたらどうだろう。実際の所、われわれは命の実体性を証明していないし、他者の命そのものを見たり触れたりしたという体験もない。命が実体でないとしたら、命を失うというのは死ぬということの別表現にすぎず、死ぬというのは物質の高次元のあり方(生命体)に終止符を打つということにすぎなくなろう。 |
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私は見た 発言番号:9 名前:きよー 35歳 2005年07月04日02時30分 私は看護師として働いていて、人の死を何度も直面しています。誰かが亡くなる前になると『白い影』が《お迎え》にきます。信じる信じないは個々の問題だけど、何人もの目撃者がいます。ここは地球だけど死の世界は宇宙のような、四次元の世界を想像しています。そうじゃなければ、死によって自分が無になるなんて考えられません。考え行動し生きてる私が全て消えるなんて恐怖です。 |
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死んだら・・・・ 発言番号:10 名前:せきや 30歳 2005年07月04日06時50分 科学的には、投稿があったように脳が停止し心臓も停止して初めて”死ぬ”ということになりますよね。でも心臓が停止してもまだ脳は、しばらく生きてたりするとも聞きます。(うるおぼえですけど) そのために自分は、まだ生きてる生きてると思うらしいのですが 血液の流れが止まってくるとやがてその考えも消えていくのでは、ないのでしょうか? 言葉てきにかくのは難しいですね。ただその後は?といわれると 幽霊としてでるともいわれてますが、それは、あくまでも思っている側 の思いでみえたりみえなかったりすると思うので。。。 でもだからといって幽霊を信じていないわけではないのですが^^ |
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死後の存在のまえに生まれる前の世界は? 発言番号:11 名前:おっかむ 30歳 2006年03月06日21時49分 死後の世界の存在を明らかにする前に生まれる前、いわゆる前世はあるのだろうか、この問題は死後の存在とほぼ同値な命題といえると思います。ここから明らかにして見たいと思いますが、如何でしょうか |
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