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提案者基調 |
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自分なら… 発言番号:2 名前:工作仮面 2001年10月02日02時19分 わしが中学3年生の時、学年集会で若い体育教師がこう言った。 「お前らはまず善悪の判断をつけないとアカンぞ」 わしはすかさず挙手して質問した。 「でも、“悪いこと”って頭で分かっていても、 ついついしちゃうことってあるじゃないですか?」 すると間髪入れず、 「アホ!(今ならこの一言も人権問題かなぁ?) それはホンマには分かってない証拠じゃ。 ホンマに悪いと分かっていたらしない!」 わしはその言葉に何となくだが、納得がいってうなずいてしまったもんだ。 しかし、ボンボン育ちで非常識な(とよく言われた)わしは、 その後も順調に(笑)あちこちで無用のトラブルを量産したのである。 先生や親から躾られたことは、まぁ割り方忠実に守って、 優等生でいたんだけど、場の空気を読めなかったり、 相手の気持ちを察しないで不用意に思ったことを発言し、 問題をこじらせたりしたんである。 周囲からひんしゅくを買う度に、更に屁理屈をこね回して自己正当化を 謀りまくったわしは、ふと気が付くと孤立していたのであった。 孤立状態を自覚したのは、下宿生活を始めた大学生の頃である。 そこでわしは過去の己の過ちの数々に気づいたのである。 その原因の殆どは、「いつも自分の正義を振りかざしていた」ことに 発端していたようだ。テロ事件の当事国のようにね…。 まぁ、子どもだったってことさ。 善悪の判断だけど、理想と現実を天秤にかけることは必要かな?と思う。 経験上…(笑) で、正しいことなら周囲の大多数が支持してくれると思うね。 そんな時に屁理屈をこねて、強引に説き伏せて「勝った」と思うなら、 それは大きな間違いだな。 余談だが、ここの各掲示板にも時々そういう御仁の姿は見つけることがある。 今の米国なんてまさにそうじゃないかと思うんだが? でも、大衆がいつも正しい訳でもない。大きな判断ほど、 少数派の言ってることが実は正しいなんて感じることも多々あるよ。 世論操作やマスコミに弱いのも大衆だからね。 本当に正しかったかどうか?も後々の歴史が判断してくれるんじゃないか? その時はAで良しでも、後からひっくり返ることなんてザラだわな。 ん…それでも勝てば官軍なのかしら?時々わしも迷う。 “正しいことは普遍的に正しい”としておこう。 例えその正しさが証明されるのに時間がかかるとしても…。 |
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自分の基準をもつ 発言番号:3 名前:ryo 2002年02月05日00時04分 善悪は、時代によっても変わりますよね 例えば戦争中は、人を殺せば英雄に、平和な時代は人殺しに 私は自分の考えが良いか悪いかは考えず、自分がその考えで納得するか どうかを考えます 例え、こじつけでも 他の人が違うといっても、自分の考えを信じます 但し、相手の考えの方が正しいと納得すれば、考えを変えます ただ、人間は感情を持っていますので、そこいらへんが難しい 冷静に考えられればいいんですが 戦時中に憲兵隊に拷問にあっても、獄中で死んでも戦争を反対した 人達のように自分の考えに自信がもてたら良いんでしょうが・・・・ 色々な人の意見や本を読んで、見聞を広げるしかないんじゃないかな と考えます その見聞のなかから自分の納得する考えを見つけたいと思います 他の人の考えでも納得すれば、自分の考えた結果だから |
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↑の人に1票 発言番号:4 名前:匿名希望 20歳 2003年11月23日20時25分 賛成票です。 |
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善悪の基準 発言番号:5 名前:ぱぴ〜 24歳 2005年04月23日01時19分 私は個人的に、善悪は人それぞれの信じるべき物だと思います。 したがって、「これ」と言った答えを見つけるのは非常に難しいと思います。 しかし上記の内容はあくまでも個人の行動や言動などに基づいた観点の意見であります。 私はその色々な意見や考えの違いが渦巻くこの世の中において基準にする善とは、それらの違いを受け入れる事であり、受け入れる事のできない事を悪と定義しています。 例としては、世の中の独裁者などは非常にその点色々な哲学を受け入れる事が出来なかったがゆえに自分中心の世界を作り上げて行った事は現代の価値観の中でも非常に高い確率で悪と定義されています。 あまり旨く例えが説明できませんでしたが、結局は行動や言動での善悪ではないと言う事を言いたいわけです。それらの善悪は結局、結果論としてしかの機能しかもっていないと思ったからです。 |
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ぱぴーさん、 発言番号:6 名前:タキシード仮面 27歳 2005年04月23日11時35分 「善悪は人それぞれ基準が違う物」として独裁者の例を出されましたが、 ローマカトリック・ローマ法王はどうなるんですか? 彼等は千年以上、聖書と言う本を基準にして善悪を決めてきましたが、ついぞ、独裁者等と言われた事はありません。 更に、あなたが言う「独裁者」もシーザーが独裁を始める前のローマの元老院 の混乱と腐敗・堕落とワイマール共和制下での小党分立と政治的意思決定の混乱、腐敗の末に反作用としてのナチスを生んだ事をどう評価するのですか? 非効率で混乱と腐敗・堕落が伴う「自由」(放縦ですね)と、 効率性と最短距離での目的達成に向いている独裁のどちらを評価するか?の視点が欠落しているのではないですか? 余りにも一面的評価でしたので発言させて頂きました。 お分かりかな?さらばだ、又会おう! |
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タキシード仮面様へ 発言番号:7 名前:ぱぴ〜 24歳 2005年04月23日21時10分 タキシード仮面様のご意見は私にとっても大変な勉強になりました。 上記の「独裁者」については貴方がおっしゃるとうりだと私も思います。 私としましては今更ながら、自分の書き込んだ例えの悪さに反省している所であります。 さて、私が一番問いたい事は、ある歴史的事実や物事の結果論においての善悪の判断というものが非常に難しいと言う事です。 (今更ですが、上記の問いに私の過去の例えは非常に相反していると思いますが、私の過去の書き込みの例えが悪すぎました。お許し下さい。) 歴史的観点、や文化、民族間の価値観の違い、それらはすべてが尊重されるべきだと思います。(それらがナチスのような考えだとしてもです。しかし実際に行われた行動による事実や物事に関しては私自身あまり肯定的ではありませんが、思想自体それが間違いだとする考え方では根本の問題が解決するとは思えません。結局武力や政治的圧力による弾圧に向かって行ってしまうというのが現実かと思います。ナチスの例でもその思想を持ちながらも、他の思想をも尊重できると言うのが理想ではないでしょうか?まずこんな事は国家レベルや大きな組織レベルでは起きない事だと思いますが。。。 個人のレベルでは可能な事だと思います。) 私は宗教家でもなく、特に特別な教えに沿っているわけではありません。ただ非常に長いあいだ異文化の中での生活において私の思う善と言うのは色々な思想や価値観を理解し受け入れる事が出来る事だと思います。(キリスト教における「許し」の教えに近いものがありますが。人々がそれぞれに持った価値観を受け入れられるとすれば、理論上争いはないのになぁと時々考える事があります。 またまた変な例えになってしまいましたが、文にして発言する事の難しさをまなびました。これからも色々と勉強して行きたいと思います。 それでは失礼します。 |
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^^・・・難しいね^^ 発言番号:8 名前:KR 44歳 2005年04月25日01時21分 善悪の基準って、個人で培って来たように思うけど、結局はその社会の時代背景や社会システムなど様々な要因が絡み合ってるからね。日本・中国など一部の地域以外(これらの場合、宗教的な価値観が社会の根底にはあまり根付いてないという意味)は、善悪の判断基準は宗教に準じている事が多いし、その宗教が精製された物なのか、ティピカルな土着的なのか、それによっても価値観が違う。 ただ言える事は、「善悪」という価値観は結局、人間のご都合主義で作られたものだし、善悪」の倫理観も価値観も、それをベースにした判断基準はあくまでも人間社会の中にしか存在しておらず、それは人間の、個人から始まる生活と社会構造との関係をスムーズに統制して運営していくための基準でしかないのでは?人間以外の自然界において「善悪」など存在していないしね。 しかしながら、人間社会に身を置いてる以上、「善悪」の倫理観や価値観は ある程度考える必要性もある事は確かである事は間違いない。私が思うには 道端に咲いている花を「美しい、綺麗」と素直に感じ取れる人・・・所謂自然なものに対する愛着・敬愛がある人には「善悪」という基準が自然にあるのではないだろうか?それは宗教や倫理観で説明する以上の内容を持っている感性じゃないかな? |
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フッサールを読め。 発言番号:9 名前:ばかもの 777歳 2005年04月26日20時41分 (本文なし) |
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?・・・・ 発言番号:10 名前:お節介 777歳 2005年04月26日22時19分 現象学的認識論の基礎の事か? |
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(削除されました) 発言番号:11 名前:(削除されました) 32 lllllll歳 2007年02月02日18時43分 (削除されました) |
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