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提案者基調 |
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概念としての時間 発言番号:2 名前:kk 2003年02月17日12時30分 問題提起の仕方が悪かったのか、書き込みがありませんので、ひとつのたたき台として私の考えを述べてみます。 「時間」は物質ではない、という意味で「概念」と言えるでしょう。 未来は、まだ実在していないと言う意味で「概念」であり、 過去は、かつては実在したけれども、今は実在していないと言う意味で「概念」と言えるでしょう。 「今」はどうでしょうか。 「今」も、「これが今だ」と掴んだ瞬間に、過去になってしまいます。 「時間」は物質ではないけれど、物質の運動や変化を離れて存在しうる「概念」ではないでしょう。 なぜなら、一切の運動や変化のないところに、時間を想定することはできないだろうから。 それでは逆に、時間と言う概念を離れて、物質が存在しうるでしょうか。 物質が存在するのは、空間において存在します。 空間なしに物質を想定することはできないでしょう。 そして、空間を想定すれば必然的に、その空間内における「運動」が想定されます。ということは、 「物質」が想定されるのは必ず「空間」においてであり、「空間」はその中に既に、運動としての「時間」の概念を含んでいることになります。 ですから、「時間」という概念を離れて「物質」は存在し得ない、ということになるでしょう。 「時間」が概念であるように、「物質」も概念であるならば、私たちは概念以外のもの=「実在」に出合うことがあるのでしょうか。 時間については、考えれば考えるほど、泥沼にはまっていくような感がありますが、もしご意見ご感想などありましたら、よろしくお願いいたします。 |
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実感として 発言番号:3 名前:サラ 2003年02月20日17時01分 KKさんへ 時間についての議論はよくわからないのですが 私にとっての「今」は概念ではないと思います。 |
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なぜ 発言番号:4 名前:Psyact 2003年05月10日20時52分 計算ができるのでしょうか? |
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支離滅裂 発言番号:5 名前:あさみ 2003年05月11日01時59分 私も時間と空間は切り離せないものだと思う。 が、なぜかすべては無である、という思考が頭について離れないでいる。 答えがでないから考えるのを放棄してしまっただけなのか。。。 永遠などない。 あるとすればすべては永遠だ。 おわりなどない。 はじまりなどない。 そこにあるのは必然だけで すべては慈愛に満ちていて やさしく私を包み込んでいる。 私はなにが不満なのだ。 私の背中に羽がないことか。 空を飛べなかったことか。 目を閉じればいくらでも空高く飛べる。 色とりどりの美しい世界がひろがる。 けれど目を開けたほうが美しいはずだ。 この世界は美しい。 本当はすべては美しいのだ。 美とは真理。 真理とは美。 ただ、私はまだこの世界をすべて受け入れることができずにいる |
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発言番号2に対して 発言番号:6 名前:匿名希望 20歳 2003年11月23日22時19分 まるっきりの素人で、時間について考えたことすらないのですが、 記載されていることに疑問を持ったので。 (言っていることがまるっきりずれていたら無視しちゃって下さい) その1. >「時間」は物質ではないけれど、物質の運動や変化を離れて存在しうる「概念」ではないでしょう。 >「時間」が概念であるように 記載していること、矛盾していませんか。 その2. >「物質」も概念であるならば 「時間」を離れて「物質」は存在し得ないというのは理解できましたが、どうしてそれが「物質」=「概念」となるのですか。 「物質」+「時間(運動)」=「概念」ならば納得できるのですが。 |
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おれも素人ですが 発言番号:7 名前:もふ 19歳 2004年01月23日17時26分 本気で考察しようとするなら優秀な数学者、物理学者になりましょう。どう考えても人間の感性、知覚では分からないものなのでなんとか学術的知識を当てはめようとしているのに、素人が話し合って君たちは何が楽しいのでしょうか? 『人生とは?愛とは?』っていう疑問にはひとりひとり答えが違うっていうのもアリですが(基が概念だから)、こういう最先端の学術を素人が話し合っても落ちこぼれの集まりみたいで虚しいだけでしょう。1+1=2という数式のように答えは決まっているのに、それを頭が悪いので理解出来ないからって、概念とやらで、仲間内で語り合って分かったつもりになっても、所詮はつもりですよ。 こういった提案は哲学の場にあることが場違いです。 板荒らしはやめて下さい。 |
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目的は答えではなくて過程なのです 発言番号:8 名前:シンザキP 22歳 2004年02月28日18時22分 議論というのは「問題の答えを出す」というのも勿論目的ですが、「議論をする」という目的もあるのです。 つまり過程事態が目的であるということです。 多分、ここで時間の概念やらなにやらに関して話し合いをしたところで答えは出ないでしょう。 しかし「議論をした」という「経験」は着実に蓄積されます。 「難解な言葉の意味を理解する」とか「自分の考えを纏めて文章にする」といった「思考活動」は人間の脳をおおいに刺激し、思考能力を向上させます。 それに、議論というのは単純に「楽しい」ものです。 ただ楽しむために議論をする。それも立派な議論の形です。 もふさんは「本気で考察したいなら数学者か物理学者になれ」といいますが、私達は(少なくとも私は)、市民体育館で仲間とバスケットをしているようなものです。 それはプロになるためにやっているのでも、冗談でやっているのでもありません。自分のその時自分に出来るだけの力を出してやっているのです。 これを「プロなるつもりが無いならやめろ!」とは誰も言わないでしょう? この議論の場は、自分達の精一杯の「本気」で、楽しみ、且つお互いを高めあうためにあるのではないでしょうか? |
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時間の存在について意見 発言番号:9 名前:通りすがり 19歳 2004年03月18日09時49分 時間が存在するかどうか、ですが、自分は“存在しない”と思います。 と言っても、それ自体の概念を否定しているわけではなくて、例えば神さまのように、実際には存在しないが、世界中の誰もが知っているようなものだと思います。 時間という単位は人間が日の長さや太陽の周期などによって、都合のいいように割り振ったもので、実際に生活するには必需品です。 それはあくまで、時計の針が一周したら60秒たったということにしようときめているだけで飽くまで時間が存在する証明にはなりません。 カップラーメンは3分で出来ますが、そのラーメンを作るのは3分という時間ではなくて、徐々に中の物が変化してできるわけで、結果的にその出来るまでに時計の針が3周するわけです。 他にもさまざまな要素がありますが結果として、今の自分は時間という万人共通の単位はあるが、実際に流動していく時間の存在は、ないと思います。 |
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時間は実体としては存在しない 発言番号:10 名前:伊知地充 50歳 2005年03月28日02時20分 私も時間は観念だと思う。実体としては存在しない。変化がありそれを計ろうとすると時間はとても都合の良い観念だが、物事を変化させる力ではない。変化させる力ならそれを操ることによって過去に遡ったり未来へと進めることも考えられようが、それは虚妄だ。時計時間とエネルギーとしての時間は区別しなければならない。特殊相対性理論が問題にしているのは前者であろう。 |
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時間は実体としては存在しない 発言番号:11 名前:伊知地充 50歳 2005年03月28日02時27分 私も時間は観念だと思う。実体としては存在しない。変化がありそれを計ろうとすると時間はとても都合の良い観念だが、物事を変化させる力ではない。変化させる力ならそれを操ることによって過去に遡ったり未来へと進めることも考えられようが、それは虚妄だ。時計時間とエネルギーとしての時間は区別しなければならない。特殊相対性理論が問題にしているのは前者であろう。 |
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相対性理論は… 発言番号:12 名前:普通人 42歳 2006年12月09日00時42分 天体観測の結果、ニュートン力学で説明のつかない現象が幾つか発見された。 光の速度を最高速かつ不変として、空間が縮む、あるいは時間が遅くなると考えれば説明できるじゃないか。 というのが相対性理論です。 人間の天体観測は光学望遠鏡、電波望遠鏡と光の速度のものしかありませんから、 人類の観測し得る範囲では当分この理論で間に合うはずです。 相対性理論で説明される時間を超えるような時間の概念は、いまのところ哲学の範囲になります。 つまり、考え方はあっても証明はできない。 |
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