|
提案者基調 |
|||||||||
|
|
現場の人へ 発言番号:2 名前:はる 2003年02月19日00時20分 社会的に容認される考えではないと思うのですが・・・ 一般的な風潮として、命の重さ=命の長さ、と捉えがちですが 命の「重さ」と、命の「長さ」は違うのではないでしょうか? 命の「長さ」にこだわる人は、命の「重さ」を理解していない人ではないでしょうか。 単純な命の「長さ」よりも、命の「重さ」に目を向けた医療が必要なのでは? 安楽死や尊厳死の問題は、外野の人間がとやかく言う問題ではなく、患者本人が、彼(彼女)の最も親しい人たちと話をして決められればいいと思うのですが。できない場合もあるのでしょうけど。 現在の社会は、死を、ひたすら悪なるもの、避けるべきもの、先に延ばすべきものとしていますが、いずれはみんな死ぬんだということを、まさか忘れているわけではないでしょうね。 ひたすら延命にのみ力を入れる現代の医療には、私も疑問を感じます。 |
|
|
う〜ん。 発言番号:3 名前:葵 2003年08月16日20時54分 看護師を目指す身ながら、書き込みをさせて頂きます。 安楽死とか、尊厳死とか、昔は無かった言葉だと思うんですよ。 医療技術が発展したことによって、今までなら消えてしまう筈の灯火を、微弱ながらも照らし続ける事が出来るようになった。 でもそれらは本来なら、(言い方は悪いけれど)終える筈だった命ですよね。 医療技術を否定するつもりはほとほとありませんし、況や命が一つでも多く助かるのならそれは非常に喜ばしいことだと思います。 でも今現在、↑上の「はる」さんも仰っている通り「ひたすら延命にのみ力を入れる」医療になっているんですよね・・・。 もしも自分自身はおろか、自分の家族や大切な人がこんな選択を迫られるような状況になったら・・・ 私は、いたずらに命を延ばして欲しく無いと思います。 いかに自分達が納得して最後の時を選ぶか・・・。 自分の「死」さえ選べる時代に、私たち自身がどの様に選択をするか。 結局全てはそういう所になるのではないでしょうか。 なーんてゴタゴタ書いてしまいましたが、きっと自分がその様な現場に立ち会ったら、物凄くやり切れない気持ちになってしまうだろうなぁ・・・。 長文・乱文失礼致しました。 |
|
|
無責任者のたわ事 発言番号:4 名前:** 50歳 2003年10月29日02時41分 そのうち、慣れてくると思いますよ。 人間の馴れってかなりすごいですから。 それがいやなら行動するしかないのでは。 (くれぐれも殺せと言っているのではありませんのであしからず。 ここで私が言っている行動とはもっと前向きな行動のことです) かわいそう、やりきれないと思うことはある面から見るととっても すばらしいことですが別の面から見た場合、何もしないのと同じです。 何事もそうですが壁にぶつかった時、感情だけで終わるか、理性を駆使 して行動するかはあなたしだいなんです。 |
|
|
おれなり 発言番号:5 名前:もふ 19歳 2004年01月23日17時49分 こういった現場の人に意見する資格は、その場に居ずに提案者の心境も分からないおれには、無いのですが、まあおれなりに考えたことを。 看護師っていうのは人の命を助けるとても立派な仕事でしょうけど、患者さんひとりひとりにあまり感情移入しない方が良いんじゃないかな(ううう、他人事だ、ごめんよ)。 えーと、建設的なことでは、安楽死については西欧諸国でも頻繁に議論されているので、もしかしたら近い内に何か進展があるかも。実際アメリカに合法的に安楽死させてくれる場所というのがあるらしいのですが、そこを紹介すればいかがでしょうか? 費用やかなり難題な手続きが必要らしいけど。 なんか、全く役に立たなかったですね。と、取りあえず……頑張って下さい!(やっぱり他人事だよ、おい) |
|
|
難しい問題ですね。 発言番号:6 名前:白衣の天使なんていません 28歳 2004年02月13日23時58分 某施設で3年間、植物状態の患者だけを見てきました。先輩に この施設にいることで、必ず壁がやってくると言われ、1年目で本当に 辛い思いをしました。でも、その3年を通して、私は寝たきりの患者さんにたくさんのことを教えてもらいました。「人間らしい」というのは一体どんなことなのか、寝たきりであることが、人間らしくないのか…残念ながら今の医学では、患者さんの気持ちを理解するまでには至りません。彼らが本当に生きたいのか、私たちにはわかりません。家族にもわからないでしょう。でも、周りによって、彼らが人間らしく生きることはできるし、彼らの存在で救われる人もいるのではないかと私は思います。 ただ、医学の進歩がこういう結果を生んでしまい、はっきり言えば、昔だったら生きてはいないでしょう。それが呼吸をして、心臓を動かす行為は持続できてしまう。非常に難しい問題であり、この問題の解決は、きっと自分が生きている間には結論など出ないと思います。 私たち看護師は、医者とは違いますよね。命を助ける仕事だと思われても、実際には全然違う仕事なのだと私は思うし、そう思われていること自体も問題なんだと思います。私たち看護師にしかできないこと、医者にはできても私たちにできることがあるのではないかと私は思います。って、実際、今、自分も悩んでいる途中なので、何もいえないのですが・・・でも、このトピックをみて、ちょっと考えさせられました。 |
|
|
ストレス解消 発言番号:7 名前:はざまとしつぐ 38歳 2004年03月14日23時43分 不規則の生活で、ストレスが堪りますけど、仲間どうしで、不満をだしあって話せばいい案がでるとおもいます。言いたことを自分の頭のなかからはっきり言えば楽になるかもしれません。 |
|
|
上手く言えませんが・・・。 発言番号:8 名前:ceです。 38歳 2004年04月04日07時57分 確かにかかわいそうとかって言うのは 医療スタッフとして思うことはあります。 でも、それはスタッフだからであって、それを体で受け入れる 生活の中で暮らすのは家族であり、一緒に過ごして行く人達です。 白衣の天使なんていない。さんの言うとおりで 植物状態であっても、生きているだけでも違ったりするって事もあると 思います。本人の思いは分からないですよね。誰にも。 もちろん、それが大変な事は経験ありませんから想像の域は超えませんが。 病院や医学というのは人を治すためのものであると。 自分は残念ながらCEですので、看護の力ほど事はしていませんが。 どんな結果が待っていようと、やらないとけないものはやる。 病院は死ぬための場所ではなく、生きるための所です。 生かす場所ではないはずです。 最近ちょっと思うことは自分の出来る事をしっかりこなす。 それしか出来ないし、それ以上の事も出来ないから。 文が無茶苦茶でごめんなさい。 |
|
|
本音と建前? 発言番号:9 名前:QOL 30歳 2004年10月13日18時53分 看護とは? 命とは?ということを学生時代にならったでしょう。おそらくこれらの言葉は看護学の教科書ならどの教科書にも載っている言葉だと思います。しかし現場に入って何年か経った現在、看護とは?命とは?といった言葉が教科書と同じ内容に感じられますか? とんでもない!そんな奇麗事で全ての患者に携わっていたら時間がいくらあっても足らないんじゃないですか?もちろん時間がゆっくり流れているようなのんびりした病院ではこの精神で患者に接することができますが救急病院や大学病院でこういった精神で患者に接しているような看護婦は新人看護婦だけじゃないかな?病院というところは患者の病気を治す場所であり患者の命を救う場所ですがもう一つ病院というところは楽に患者を死なせてあげることができるまたその努力をしなくてはいけない場所だと思います。ちょっとひねくれてるようですが具体的に言わなくても一度はみなさん感じられたのではないでしょうか?「この人(患者)どうするんだろう?」って |
|
|
臨床医の意見、聞いてください 発言番号:10 名前:dottoreM 43歳 2004年10月15日01時58分 呼吸器内科の医師です。この場にはそぐわないかも知れないけど、一人の臨床医として意見を言わせてください。 ひとの寿命っていうのはたかだか百年と決まっています。誰でも死ぬときは来るのですが、自分の死に方を決められる人ってほとんどいません。周りの人たちが本人の気持ちを思いやって決めてあげてる、っていうのが実情です。「その時」が来たとき、どんな人がどんな思いやりをもって人の死に方を決めてあげるか、っていうことは実は非常に大切なことだけど、今の日本の実情はハッキリ言って滅茶苦茶です。 私は、患者さんに何をしてあげようか、って考えるとき、まず「自分がそのベッドに寝かされて苦しんでいる」状況を考え、「この状況で何をしてほしいか」という自分の判断を最優先にしてます。管をいっぱいつなぐことが苦痛だったらつなぎません。癌だったら痛みはデュロテップパッチで抑えれば大抵は何とかなるし、苦しくてどうしようもなかったらセデーションするのも「当たり前」と思ってます。自分だったらそうしてほしいと心底思うからです。そのへんの「想像力」が乏しい医者はいくらでもいます。そういう奴ってきっと自分の死に際には大騒ぎするタイプですよね。ナースは基本的にドクターの指示に従わなければならないわけだけど、バカ医者には正当な意見を上申しても良いと思います。 今の日本では「安楽死」は御法度だけど、塩酸モルヒネなどを用いたセデーションは広く行われてます。何も難しいことは言わずに、鎮痛のモルヒネをセデーションに「転用」していく方向でいくのが現実解かと思います。 自分が死ぬとき、誰にどのようなお世話をお願いしたいか、それがこの問題の根本的な答えにつながる道だと思います。いかがでしょうか。 Dottore M. |
|
|
現職、あるいは元議員なのかと突っ込まない様に。 発言番号:11 名前:euro議員 32歳 2004年10月15日14時35分 実際に医療現場で活躍されている医師からの、上記熱い声を読ませて頂きました。体の一部から熱いと感じたので、そのような形容詞を使わせて頂きました。 勿論この熱いとは、身近な日常茶飯事で物に触れ、感じ取る意味ではありません。(果たして初歩的なこの冗談、通じているだろうか?) この程度の冗談が通じれば、こちらは安心して気軽に書き込めます。 さて、Dottore M氏に解説をして頂きたい用語が、幾つかあります。 また、これから挙げる用語が載っている辞書も、紹介して頂けると幸いです。 1.デュロテップ パッチ 2.セデーション 3.塩酸モルヒネ 以上三つです。 ちなみに私の場合、自分が死ぬときに、誰にどのようなお世話をしたいのかを明確にする為に、たまにキリスト教会へ足を運び牧師の話に耳を傾けています。気が向くと自分なりに聖書の句に触れて見たりもしています。 |
|
|
↑↑↑ 変な人が 発言番号:12 名前:むじむじ 29歳 2004年10月15日22時35分 来たぞぉ〜〜 皆々、撤収〜〜 |
|
|
用語解説 発言番号:13 名前:DottoreM 43歳 2004年10月15日22時55分 私は、このページを医療業界人だけが見てるものだと勝手に思っていたのですが、euro議員さんからの投稿を拝見していろんな方が読んでいるのだと認識を新たにしました。御質問にお答えします。 1.デュロテップ パッチ 2.セデーション 3.塩酸モルヒネ は、いずれも癌末期のケアに登場する用語です。癌の末期には耐え難い痛みを伴うことが多く、通常の痛み止めだけでは対応が困難になることがよくあります。そんなとき、われわれは医療用の麻薬を処方して除痛するのです。通常は飲み薬で開始し、症状にあわせて徐々に増量するのですが、いろいろな理由で飲むのが困難になったときに使うのが貼り薬(パッチ)のデュロテップ(これは製品名で、一般名はフェンタニルです。)や注射用の塩酸モルヒネです。両者の作用に細かな違いはありますが、痛みをとるという目的は同じです。癌末期の痛みは我慢する必要はありませんから、量の制限はありません。これでほとんどの痛みはコントロール可能なのですが、癌末期には痛み以外の苦しみ(身の置き所がない感覚など)が伴うことが多く、それを鎮める方法はありません。そこで、本人が苦痛を取り除くことを強く希望したときに、周囲も同意した上でセデーション(sedation;鎮静)を行うことがあるのです。眠ってしまえば苦痛を感じにくくなる、ということです。これには鎮静剤や麻薬が用いられることが多いのですが、場合によっては全身状態を悪化させる可能性があります。セデーションは、ほかに選択肢がない場合、すべてを覚悟で本人が選択する緊急避難的な処置と考えてよいと思います。 参考書としては、「がん疼痛治療のレシピ」 的場元弘 春秋社 ISBN4-393-71048-7 \952+税 がわかりやすい(といっても医療関係以外の方には難しいですが)です。出版社のかたを持つつもりはありませんが、ナースの方々にもぜひ読んで勉強していただきたい本で、安いのにいいことがいっぱい書いてあります。また、この分野で日本の第一人者は武田文和先生で、一般読者向けにもたくさん本を書いておられますから、武田先生の著書をお読みになるのも良いかもしれません。 討論に御参加の皆さんには、内容的に当初の趣旨と少々ずれた投稿になりましたこと、お許しください。 では。 Dottore M. |
|
|
ドシドシ気軽に議題を立てるなり、周囲の方々に討論会の存在を紹介してください。 発言番号:14 名前:euro議員 32歳 2004年10月16日00時54分 Dottore.M氏へ 登場すると、ここに参加する多くの者にとって 私自身が刺激になってザワザワさせる事で、特に知られているアホな者です。あえて私は「アホ」になっています。 その方が喜ぶ人が多いからです。 さて氏が最も言いたかった事は、先ずは死が近い患者の耐え難い痛みを 取り除いて開放させてから、この地上の世にいられることが許された 少ない時間で、どの人にどのような世話をしていきたいのであるかを明確にしていく事が大事であるということでしょうか。 素人の私から一言言わせて頂くなら、痛みを取り除けたなら先ず一人の患者にとって心を開いて話せる大切な人との会話が楽しめる時間を持たせることが、死への準備をしていく事に納得すると考えています。 このような時間の中に笑いもなければ、幸せな気持ちで最期を迎える事が できないのは私だけでしょうか? 最後に議題から離れます。 氏は、軽やかにお腹を抱えて笑う事は好きですか? たまに笑える記事も書いていますから、気軽に読んで気分転換に 役立ててくださると幸いです。 |
|
|
ナースの皆さん、ごめんなさい 発言番号:15 名前:Dottore M 43歳 2004年10月16日01時58分 euro議員さんのおっしゃることは大体わかりますが、私が言いたかったのは、死に行く人にとって「どの人にどのような世話をしていきたいか」が大切という段階の話ではなく、本当に明日死ぬかもしれない状況で「どの人にどのように世話してもらいたいか」です。ターミナルケアの現場のスタッフが無力感に陥りがちなのは自分が患者ニーズに応えているのかどうかを思い悩む場面が多いからです。 ところで、そもそもナースの掲示板に入り込んだ私が悪いのですが、このままeuro議員さんと掲示板上でナースの悩みと関係ない討論を続けることは「掲示板荒らし」に他ならないと思いますので、私はこの投稿をもって「撤収」させていただきます。御迷惑をおかけしたナースの皆さん、ごめんなさい。 では。 Dottore M. |
|
|
議題の内容趣旨 発言番号:16 名前:例のアホ(^^) 32歳 2004年10月16日10時40分 議題の内容趣旨。 長く生きられるかではなく、人間らしく生きるではないですか? 限られた一つの分野で見るのは、危険極まりないです。 柔軟な思考を展開していきましょう。 大学で、自分なりの思考と視野を養っていく習慣を 身につける機会が無かったですか? 人間の魂を学際的な視野からのアプローチを楽しんでいますか? きっと、楽しんでいないに違いない。 きっとね。 最後にDottoreさん、自ら積極的に議題を出してくれる事を 期待しています。 勿論、学際的な視野で考える姿勢を大事する趣でね。 |
|