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提案者基調 |
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ひとつの考え方として 発言番号:2 名前:かかし 2003年04月02日00時06分 こんばんは。 私自身、人にとやかく言える人間ではないのですが 以前聞いた言葉に 「他者は自己を映す鏡だ」 というのがあります。 きつい言葉ですよね。 この理屈で行けば、他人を100%信じられないのは、自分を100%信じられないからだ、ということになってしまいます。 少なくとも言える事は、私たちが他人の中に見出すことが出来るものは、自分の中にも見出すことが出来る、ということではないでしょうか。 他人を信じることが出来る人は、自分自身を信じることが出来る人なのではないでしょうか。 |
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かかしさんへ 発言番号:3 名前:たける 2003年04月03日18時40分 それは一理あると僕も思います。ただ自分を100%信じていれば、前科のある人間をもう2度と犯罪を犯さない普通の人間だと100%信じる事ができるでしょうか? |
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たけるさんへ 発言番号:4 名前:かかし 2003年04月03日19時31分 それは出来ないと思います。 他人を信じる、という場合の、「信じる」ということの意味を考えなければならないのかも知れませんね。 他者の心理や行動を、正確に把握、予想できるから「信じる」のか。 でもそれは不可能でしょう。 たけるさんが言っているような意味で、他人を100%信じることは、誰にも出来ないし、そんなことをしたら、大変なことになってしまうかもしれませんね。 ただし、自分の他者に対する態度が、他者の自分に対する態度に、大きな影響を及ぼすことも、無視できない事実だと思います。 そこらへんをどう考えるかだと思うのですが・・・ |
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君しだい 発言番号:5 名前:古き狼 2003年04月13日18時53分 人を信じる事は大切な事だが、時には信じない事も大事な事です。人を信じればそこには空きができます。君の言うどうすれば信じられますがと言う問いですが、僕に言わせればどうしてそこまで信じようとするのか分からない。 人を信じると言う事はそれだけリスクを追うわけですから、これは人の意見は参考にはならないと思います。人を信じれない人は悲しいとか言う人がおりますが、信じた為に人生をめちゃくちゃにされた人間も世の中には沢山いますよ。 ようは信じる時にはリスクを覚悟しなさい。ただ奇麗事だけで信じる信じないを問うならば甘ったれに過ぎない。 |
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考え 発言番号:6 名前:@ 2003年05月10日15時47分 別に人を信じなくたっていいと思えば、「人をどうしたら 信じれるのか」なんて考えなくてもいいはず。 でもたけるさんは違う。 たけるさんはどうして人を信じなければならないと思う のですか? 多分、人を信じることが出来ないと思う人はこの世界に 沢山いるんだと思います。 そうお互いが思ってるのに信頼関係がなかなか生まれないのは (信じられない)という考えの方が強くてお互いが(信じよう) としてないからだと思います。 それで裏切られるような事があってその後どう進んでいくかは それぞれだと思う。 こういうことを考えなくても自然と、例えば好きな人が出来たり すればそのひとを信じているかもしれない。 それか、人は信じられないものとして生きていくかもしれない。 どっちにしろ答えをだすのは自分自身なのでは |
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ふぉふぉふぉ 発言番号:7 名前:仙人万人 100歳 2003年11月22日21時46分 若いのう。 世の中に絶対(100%)なんて無いのじゃよ。 それは自分自身にもあてはまる。 よくよく考えることじゃ。 |
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個人的経験からですが。。 発言番号:8 名前:dangan24. 34歳 2003年11月22日22時35分 私は以前貸金業に勤めていたんですけれども、保証人になる人というのは、やっぱり『いい人』なんですよね。 で、『いい人』であるがゆえに騙される。。 こういう経済的利益に関わる場合、『いい人』である事はときとして致命的な事態になることがあります。 でも、精神的利益に関わる事であれば、一度や二度は裏切られたほうがいいんだと思うのですよ。 この事が、人に裏切られたときの心のタフさを鍛えることができますし、同時に、ある人が人を裏切るかどうかを見極める目を養うことにもなります。 そして、最も大切なこと。 『人は、やむにやまれぬ理由で人を裏切ることがある』 という事を覚えるということ。。 この場合、裏切るほうだって辛いんですよね。 「もし自分ならやっぱり裏切るだろうな。。」という瞬間が、人生には転がっているものです。 そこでその人を赦せるかどうか。。ここは、裏切られた人の「度量」とでも言えるものだと思うのです。 …ここら辺のバランス感覚が大切なんじゃないかなと。 |
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自分は 発言番号:9 名前:通りすがり 19歳 2004年03月18日10時03分 自分はどう頑張っても、『人間というものはそもそも信じられない派』です。 やむにやまれず裏切ることや、今の心境が変化することは、どうしてもあると思います。 その上で、他人の信じれるところだけ信じながら生きていくことにしています。ひねくれてますが。 つまり裏切られることもあるんだよね、ということを前提にしているわけですから、存外に裏切られたときのショックも少ないですよ。 要はリスクの問題だと思います。 裏切られたときの損害(金、とか)と信じたときに得られる利益(楽しい友情、とか)を比べてみればいかがでしょう? 自分優先ですし、社会に出てそれじゃ人間関係を円滑に出来なくなりますが、そんなときは信じたときの利益を優先すると言うことで、裏切られてもしょうがないと思いましょう。 究極ですが、他人を100%信じられないという考えを100%信じてみては? |
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こんにちは 発言番号:10 名前:もふ 19歳 2004年03月24日13時26分 かかしさんへ 『自分の他者に対する態度が、他者の自分に対する態度に、大きな影響を及ぼすことも、無視できない事実』という言葉。すばらしい。含蓄深い言葉です。おれも見直してみようっと。 古き娘さんへ たけるさんは人を信じられないままでいると、潤いの乏しい人生になることが分かっているのだよ。君と違ってね。 本題・たけるさんへ 100パーセント信用するに足る人間が、絶無ではないけど、なかなかいるものじゃないことは分かってるのだろう。 でも、たけるさんの文章を読む限りでは、他人があなたを信じさせてくれると無意識にでも思っているんじゃないかな。そんな受け身の体勢じゃ信じられないよ。 おれが言うのも何だけど、君はいわゆる経験不足だよ。普通の人間なら、素晴らしい人間、思わず惚れ惚れするような人間と深い仲になれば、多少の自尊心なんか屁でもなくなるよ。こいつは信じられるか? 何て考える暇もなくなって、信じよう、信じなくちゃと思うものだよ(事実談)。 まずより多くの他人と触れ合いなさい。そして良さそうな人とは、鬱陶しがられようと、出来いるだけ親睦を結びなさい。それが最前だと思うね。 私事なんですけど、現実に則した話は照れる上に難しいです。 |
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考えに困らなくてもいいよ。 発言番号:11 名前:レミィ 22歳 2005年05月29日14時51分 自分を信じることが出来ないと、 相手を信じることは出来ません。自分を信じることを一番に、 そして、第二に相手を信じることです。 |
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