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提案者基調 |
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みんな死んだか 発言番号:2 名前:博坊 49歳 2003年10月25日06時23分 すべて在るがままよ、あるがままとは自然の法則のままさ しかしなあ、なんだこの辺の場所は誰も参加してないじゃないか、オイ総帥その名前を使うからには全てのことに最善の答えを書いてみろそれが総帥の名前を使う者のつとめぞ 当分の当分あばよ |
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大霊界 発言番号:3 名前:丹波 哲郎 75歳 2003年11月02日23時20分 死後の世界があると仮定して 今の自分がいいほうに変われるなら 私の映画を信じてください。 本当は私にもわかりません。 |
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大霊界という意味は知っているかい 発言番号:4 名前:博坊 49歳 2003年11月05日21時08分 なんだこのとぼけたやつは、他人の名前を名乗るとはどういうことか解らんようだな。他人の名誉を毀損する恐れのあるとかなんとかよく読めよ それとも口先は良く動くけれどあまり利口ではないのかい、そういえば昔、内容の乏しいまったく内容のない映画を作ったよなあ。 自分はわからんけど人には信じろとはなんだ、あきれるわい ひとが死をどんな風に考えているか聞いてどうするんだろうか。はてさて |
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安易に聞くものだろうか・・・・ 発言番号:5 名前:アイーダ 53歳 2003年11月05日22時42分 リゴレットさん。君はオペラファンなのかな?それともジュゼッペ・ヴェルディの ファンなのかな? まあそれはそれとしてもだ、生も死も人により様々ではあると思うなあ。 だから他人に聞くのだよと返ってきそうだが、そう言う前に自己を確立しなくてはな。 そのあたりを読む人が敏感に察知するから「おバカ」も出てくる訳さ。ちなみに3。 もう一つ2と4の「博坊」ってのもよく解らん奴ではあるなあ。 |
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こんにちはさようなら 発言番号:6 名前:ひろぼう 49歳 2003年11月07日20時36分 まず最初のリゴレットさんは4つの議題を提案している、これは内容がややこしくなって無理があります、 次に丹波の哲っちゃんを名乗る方、お詫びをするべきでしょう。 アイーダさんあなたには私を理解できない、それはまだ小さな子供が高等数学を見るようなもの、幼稚園児に名作文学の本を見せても、聞かせても興味を示さない、まして深く理解する事などできないようなもの、貴方の文は私のまねをしただけのもの、 ひとに死などない,死というのは便宜上の言い方、肉体の変容と言った方が正確です。 |
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生と死 発言番号:7 名前:長十郎 88歳 2003年11月08日19時22分 生は死によって生となり 死は生によって死となる 表と裏、裏と表・・・ 互いが互いを支えあっとるのじゃ。 |
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ほお!? 発言番号:8 名前:アイーダ 53歳 2003年11月09日20時13分 分かったつもりの偏り馬鹿がいい気になっているようだ。 一つだけ訂正しておくが、私は人の真似をしたことは一度も無い。 唯我独尊を気取って、自分だけの言葉で喋れば良い。 やはり世間に受け入れられない、偏狭な輩であるようだ。 可哀想に。 |
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リゴレットさん、発言が無いが 発言番号:9 名前:アイーダ 53歳 2003年11月10日14時58分 >死がどんな影響を皆さんに与えているか >死をどんな風にとらえているか 肉体としての死ならば、これは人間のみにとどまらない。この世に生息するありとあらゆる 生物は死に対する(個として存在しなくなる)恐怖を本能的に持つ。 これに加えて、家族に対する情(思い)であるとか、利害・憎しみ・ 希望など諸々、自身(肉体)の没後について想像の埒外にあることに対する恐怖もある。 つまり大きく括れば、凡人においては「恐怖・惜別」と表現できる。 ただ厭世観や悲観・自殺願望を持ってしまった場合は、この限りでは無い。 夏目漱石の生徒に藤村操と言う第一高等学校の生徒がいた。1903年日光華厳の滝に 投身自殺をしたのであるが、巌頭の樹皮を剥いて「巌頭之感」と言う遺書を墨書した。 ・悠々なる哉天襄、遼々なる哉古今、五尺の小躯を以て比大をはからむとす(中略) 万有の真相は唯一言にしてつくす、曰く”不可解”(中略) 既に厳頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし、始めて知る、 大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。 彼は彼の人生に於ける自身の存在と能力を哲学的に否定し、自ら死を選んだ。 この時彼の心情からは恐怖も惜別の念も酌み取ることは出来ない。 動機を思えばこの死は崇高かのように思えるが、やはり厭世・悲観と言わざるを得ない。 >未知生、丐知死 いまだ生を知らず、いはんや死をや これは儒教(孔子)の言葉であり、儒教・道教は日本人にはなじみが薄い。 日本人の殆どが仏教(ゴーダマ・シッダルタ)の影響を強く受けている。 生きたまま入滅する事の選択をする(出来る)人はごく一部である。 生きる事の意義と目標をを悟ることも出来ないのに、死を悟る事など出来る筈もない。 支離滅裂な文になったが、2の博坊さんの書き込みに「在るがまま」とある。 生きることを考える努力をするより日々の、四季の変化と移ろいを 受け入れ、花鳥風月を楽しむことが出来るようになれば少しは見えて来るのでは? 死を考えるよりも野に出て鳥の声を聞き、花の色を楽しみなさい。 |
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ほっほっほ 発言番号:10 名前:博坊 49歳 2003年11月10日20時37分 笑止 唯我独尊の意味もわからず、よくだらだらと書いたもんだ わたしはいつも自然と共に居る自然はわたしだ 長十郎さんこれは言葉を転がしているだけの実のない言葉のあそびですな、そしてそれを楽しんでいるんですな |
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そうじゃないかと、感じていたが 発言番号:11 名前:アイーダ 53歳 2003年11月13日23時55分 あんた、変だよ。本当。 大丈夫かい? 時々居るようだね、あんたみたいのが。 こっちは良いけどさ、いくら孤独だっても 呉々も子供を犯したり、痴漢・強姦はしない ようにね。 バランスの悪い、変な奴さんへ。 |
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さーて 発言番号:12 名前:博坊 49歳 2003年11月16日07時00分 そう、今の世の中あなたのようなタイプが圧倒的に多いがあなたにバランスを見る眼は感じられない |
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迷惑なんだな 発言番号:13 名前:アイーダ 53歳 2003年11月16日23時35分 提案者の発言趣旨が消えた。君が変えてしまったのだ。 君が言いたい事を好きなように表現するのは結構、好きなようにすれば良い。 だが提案者からの発言が無いのは何故だと思うかね?解らんだろう。 提案者は君のような、訳知り顔の変態野郎の発言を待ってる訳じゃないのだよ。 普通の人が少し”死”に疑問を持って普通の人からの意見を聞きたいと言うだけの事。 なのにいきなり<みんな死んだか>ではなあ、リゴレットさんも終わるよ。 君のレベルの崇高さはもう解った。もう満腹だ。 訳知り顔で自然の法則だとか何だとか、気取るのも程々にした方が良い。 ま、何はともあれ一般的に君は異常者。私は何処にでもいるおじさんだ。 普通の会話が出来ないんだから、出て来ないほうが人のため。 君が出て来ると発言者が居なくなるからな。 迷惑なんだな。 さようなら、崇高なる君。 |
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久々の哲学のコーナーに来てみた 発言番号:14 名前:博坊 49歳 2003年11月18日13時55分 わたしの掌の中で騒ぐ悟空よ、とは言わないで置こう、この討論の場で討論の発言がなかったのは残念だ、バランスの欠けた言葉が多かったこのバランスとは愛、慈悲の事だが愛の表し方を誤る人が多い。以後このような発言がなくなることを願う。ではわたしは沈黙する |
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自分という思考の停止 発言番号:15 名前:匿名希望 20歳 2003年11月25日18時53分 と漠然と考えています。 あまりたいした恐怖ではないと感じられる様になった現在、 心に占める割合は生と死が半分ずつ位の割合ですかね。 |
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なんと軽い 発言番号:16 名前:ふらいぼう 49歳 2004年01月01日11時12分 ものごとを漠然としか考えられないとは、やはり内容もつまらない |
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おれの 発言番号:17 名前:もふ 19歳 2004年03月10日16時24分 死について、『種のため遺伝子を残す』とか『老化の行き着く先』とかの、目に見えているものについての内容はつまらなくなりそうだから省きます。そういったものは低学歴な人間が死ぬ間際にそう諭されて不安を取り除かれる為の戯言です。 引用しかできないのは恥ずかしいですから、あくまでもおれ個人の死について話します。 死を明確に寸分違わずイメージできた人間はおそらくいないのではないでしょうか? もし出来たとしたら自殺に走らざるを得ないでしょうし。だからぼくは不老不死を望みます。魂の不滅を。 それでも死はやってくるわけですが、おれは死ぬ間際でもそう思っているでしょうね。自分に酔って死ねそうです。 |
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