宗教について
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提案者基調
宗教について

発言番号:1
名前:--
--歳
2000年09月01日12時34分

旧100万人の大討論会からの続きです。

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移転後、1ヶ月

発言番号:2
名前:キャプテンポイント
牡5歳
2000年10月11日07時27分

消去しようよぉ〜 ねっ?

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ある中国人に聞かれました。

発言番号:3
名前:もなか
牡5歳
2001年10月31日19時59分

 「日本の宗教って何?」
 ・・・そう言えばなんだろう。「無宗教」とは言いづらかった。
だって、神社へはお参りに行くし、家には仏壇があるし、
日本の一般的な結婚式はキリスト教で行うし。
 悩んでいると、「幽霊を信じる?」と更に質問され、
「絶対いるとも、絶対いないとも言えない。」と答えると、
何故か納得された。
 「君は、宗教を信じても、信じていなくもないんだね。」
なのだそうです。きっとそうなんだと思います。
 あくまで私の場合ですが・・・

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ある文献より

発言番号:4
名前:kan
牡5歳
2002年01月16日00時08分

宗教ってなんだろう

と思ったらある本に一つの考えが書いてありました
狭義で神を信じる事
広義で、あるものを信じて社会をつくっているもの

中国で広く信じられている(よく判りませんが?)孔子の儒教
これは、神を信じるものではなく、政治だそうです
よって、狭義では宗教ではなく、広義では宗教だそうです

中国のすごいところは、天をつくった事にあるとありました

聖書に書いてある言葉が、色々な所で引用され、いいことをいっているなぁ
と思ってました
又、マザーテレサのような人を育てた宗教に興味をもった事もありました

でも、今の紛争は宗教戦争、民族紛争
なぜ、人をあやめては生けないといっている宗教を信じる人達が戦争を
しているのか疑問でした

そう思って本屋で小室直樹著の「日本人のための宗教原論」という本を
読んだら、少し納得できました

日本人の多くは、宗教を信じていないと思います
でも、何教というものではなく、原始宗教といわれる自然の中に神や
美をみるというのは、日本が進んでいると思いますよ

宗教で熱くならない分、日本は恵まれている
反面、信じるものが無い分、心が貧しくなったのかな?

でも、みんな仲良く生きていけたら、いいですね

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私は、仏教徒です。

発言番号:5
名前:灼ホ欷゙
牡5歳
2002年04月15日00時22分

 私は、胸を張っていえます。「仏教とです。」

約2500年ほど前「釈尊」により説かれました。
かなわぬことは無い社会的地位と家族をもすて出家、悟りを得その後の
45年間の生涯を彼の知り得たことを後世へ伝えんがために費やしました。

その仏教とは、物理学、天文学、音楽、美術・・・etcを包含し、2500
年前には、信じるしかなかった彼の説いた数々の事柄は、近代科学によ
って証明されてきました。
ゆえに、近代科学をもってもまだ証明することのできないいわゆる
「信じるしか無い」部分が信ぴょう性を持ち信仰の一部分となるのです。

20世紀最大の物理学者と言われたアインシュタインも仏教を絶賛しました。

みなさんが思う「仏教=葬式」とんでもありません。
いまを人間として生きているからこそ必要な人の教えそれが仏教です。

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宗教とは・・たまねぎ

発言番号:6
名前:KR
牡5歳
2002年12月26日02時21分

宗教とは・・なんでしょうね?いろんな意見や宗教的思想・価値観・もうさまざま・・多種多様・・収拾がつかない!
で・・宗教とはたまねぎなんです。一皮剥くごとにいろんな教えがあって真理に近づいていくようですが、最後は「無」・・何もない・・こういうと「般若心境」の」世界になり・・宗教になりますね。・・メビウスの輪みたい。しかし、結局は宇宙が存在しない限り宗教も宗教的な神様も存在しないわけだから、宗教=たまねぎ=宇宙ですね!もっと詳しく書きたいと思うのですが、眠たいのでまた・・・


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宗教とはなに

発言番号:7
名前:宇宙人
牡5歳
2003年01月10日17時18分

宗教とは、人が人を都合の良いように洗脳するために、また利益を貪るために、理屈をこねて創ったたものではないか。
こうも人間とは弱いものであることか。
宗教をやって、それで幸せと思える人はそれで良いかもしれないが、宗教は
決して、人を幸せにするとは思わない。信ずるものは救われるの世界か。

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宗教、それは、21世紀に積み残された、人類最大の災厄

発言番号:8
名前:ももんがあまん
牡5歳
2003年04月15日05時30分

 宗教とは何かと、何が問題なのか、という二様の問い方をしてみたい。
 
 まず宗教とは何か、『キリスト教』『イスラム教』『仏教』『儒教』『ユダヤ教』『天理教』『創価学会』『神道』『オウム真理教』それぞれの教義の違いはいろいろとあれど、共通していることは、「神または仏あるいは、神格化された存在」がいるという事、あるいは「存在すると信じられている事」でしょうか。
 必然的に、その「神格化された存在」に対する批判はタブーであり、宗教の内部で語られる論理(神学)は、全てその前提が、肯定の為の論理であり、素朴、率直な疑問を基にしたものではないでしょう。
 
 このことを前提として、私は、宗教というものの本質を、それが、「信じる」という事であれ、あるいは「悟りを開く」という事であれ、『閉じられた宇宙』という言葉で表現したい。
 この宗教世界で、究極に於いて求められるものは、秩序、安心、安定であり、言葉を変えて言えば、思考の停止、という事でしょう。

 この点につき宗教を擁護する立場の人々には、異論も多いでしょう、
勿論、宗教が、人類の文明の黎明期に果たしたところの役割と、その意
義は、否定されるものではありません。
 人々が、大自然と大宇宙の、捕らえ難い不安の中で、何か不変で信じうる物を探し、そのための思考と論理を発達させてきたことが、文明としての宗教の原点であるとするならば、その同じ動機と思考と論理が、人類の現在と未来の文明に対しても、今も、同じように意味を持ち得る、そう考えても間違いではないでしょう。

 けれど、問題は、動機と思考と論理ではなく、今ある様々な宗教が、全て「閉じられた宇宙」だという、その事だと私は考えています、そこで「何が問題なのか」と言う、二つめの設問について、考えたい。
 何故、本来、価値のある動機を伴った、思考と論理の帰結としての宗教が、秩序と思考の停止という『閉じられた宇宙』をもたらすのか、その事について考えてみたい。
 
 一つの回答は、「宗教団体の結成」という事にあると私は考えています、つまり、それに伴う神官階級(ヒエラルキー)の誕生、それを守らんが為の権威主義が、「思考と論理としての宗教」を「宗教団体=閉じられた宇宙」へと変質させるのではないか。

 そこで、私は言葉の定義を提案したい、一般に「宗教」と呼ばれるものは「宗教団体」のことであり、「価値ある動機を伴う、思考と論理としての宗教」について、私はそれを「科学」と呼びたい、こう定義すれば、多分、今ある「宗教」と「科学」に伴う様々な誤解と敵対が少しは解消されるかもしれない?? 科学の世界が、宗教における「宗教団体」を作るがごとく「学会」という団体を作る時、其処に同じ権威主義と、同じ「閉じられた宇宙」を作り出す人間社会の力学を見出す事も出来るでしょう。

 この「科学としての宗教」と「閉じられた宇宙としての宗教団体」について、具体例に即して考えてみる為、「イスラム教の豚肉の禁忌」について、考えたい。

 そもそも、「豚肉の禁忌」は、当時の中近東の世界にとって、十分に科学的であり、理由のある事であったというのは、よく言われることです。
 つまり、豚肉の寄生虫は、人体に対し、容易に寄生しやすく、燃料となる木々の少ない環境(砂漠地帯)において、肉を十分に焼くことが出来なかったという事、そしてその為に、それを食べたものが病気となり、故に「豚=禁忌=穢れ」となったことは、容易に想像できることでしょう。
 けれど、石油も石炭もある、この21世紀に於いて、いまだにまったく意味のない禁忌を続けているということは、ただの無知蒙昧の証明としか言いようがないし、味の素に豚肉の成分が入っていたからと言って大騒ぎするインドネシア人などという連中は、「宗教的心情」などと言って尊重されるべき筋合いのものでは、全くありえないし、馬鹿にされて当然のただの愚か者の集団ではないでしょうか。

 このことは結局、自分達の階級の為に、マホメットとコーランの権威を守りたい、ただ、それだけのために、人々に考えることを禁止している「宗教団体=神官階級」の存在を抜きには、考えられないし、そしてこの、彼等こそが、本来科学的であり、合理的であり、知性的であったはずのマホメットを侮辱している、私には、そう考えられるのです。

 「食事をするのは右手、左手は穢れている」と言う習慣と観念も、同じように理由があります。
 中近東に行けば解るけれど、トイレには空き缶が置いてあり、用を済ませた後で、それに水道の水をい入れ、右手で空き缶を持ち水を流しながら、左手で尻の穴を撫で、後始末をするのがこの地の習慣です、多分これは、マホメットの時代もそうだったのだろうし、水のない地域では、左手で砂を使ったかもしれません、衛生的にも理由のある観念だったのです。
 けれどこれも、水洗トイレで、紙を使用し、石鹸で手を洗う人々にとっては、イスラム教徒であろうとなかろうと、もはや意味のない習慣と観念と言えるでしょう。

 時代も、社会生活の状況も、文化も文明の進歩も、まるで違う状況の中で、千年一日のごとく、ただひたすら自らの階級の権威を守らんが為にのみ「宗教団体」は、その創始者の意図を侮辱しながら、空洞化した観念を守り、存続し続ける、それが多くの宗教の現実の姿ではないか、私には、そう見えます。

 そして更に、更に、問題であるのは、その彼らの「権威」が世俗的「政治権力」と結びついた時、その世界は、精神的にも物理的にも、完全に閉じられ、進歩の源としての「対立」と「弁証法」も、完全に阻害されることとなります。
 多くのイスラム国家に起こったことが、その事による「文明の停滞」であり、今もまだ、その「宗教国家」によって培われた国民の思考停止の「マインド」が、国民の近代化の受け入れを困難なものとしている事の、最大の原因であると、私は考えます。

 中国や朝鮮における二千年の停滞もまた「儒教」と言う「宗教と政治の一体化」と、その神官階級(官僚)によってもたらされたものです。
 「宗教」の代理品としての「イデオロギー国家」ソビエトや北朝鮮にも同じことが言えるでしょうし、更にいえば、私達の昭和初期の「大日本帝国」に起こったことも、この「権威」と「権力」が結びついた「宗教国家」の「精神の鎖国」がもたらした愚かな悲劇と言えるでしょう。

 江戸時代は「鎖国」と言う現実の政治的手法で、日本に停滞をもたらしたけれど、国民の「マインド」としては、決して「宗教的」ではなく「世俗的」であったと考えられます、そしてその「世俗的マインド」が、明治と言う時代に「近代化」の速やかな受け入れを可能とした、私は、そう考えています。
 けれど「明治と言う国家」の官僚が作った「大日本帝国」は「宗教国家」であり、その事の当然の帰結が、非現実的な「精神の鎖国の時代」=「昭和前半の時代」であった、そう考えています。

 イスラム国家やアルカイダ、更にはアメリカのキリスト教原理主義といった「宗教」と「政治権力」を結び付けようという動きは、常にどの時代にも、どの地域にもあり、中世期のヨーロッパ(宗教的権威と政治権力の対立)や日本のような世俗国家の方がよほど珍しいのではないかと私は思うけれど、そのことによる「混沌と対立」こそが、「思考と論理と実証」による、人類の進歩を可能にした社会システムであった、と私は考えています。
 
 常に「宇宙を閉じよう」という「鎖国=秩序への願望」は、「宗教国家」に付き物で、いまだこの日本にも、自称愛国者(ただの大日本帝国へのノスタルジー)が、民間を問わず、霞ヶ関を問わず、たくさん残っていて、「テロ」でその不毛な我を通そうとする者も後を絶たないけれど、その事は、世界における、「宗教」という21世紀に残された人類最大の問題が、この日本に於いても、決して無縁の課題ではないということを示しているといえるでしょう。
 政教分離の原則は、民主主義の原則であると同時に、人間社会の進歩にとっても大原則である、私は、そう考えています。

 この長い文章を読んで頂いた人に対しては、感謝します。
 単なるアジテーションというのがあまり好きでないし、誰かに話しているつもりで、自分の頭を少し整理したいという欲求従い、少し長文になってしまいました。
 私の考える事柄につき、あなたの意見をお聞きできれば、幸に存じます。

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救済、じゃない?

発言番号:9
名前:ユル
牡5歳
2003年04月28日00時24分

ええと、私はは宗教学なんぞやった事ないですから違う可能性が高いのですが…
しかも世界史、日本史とってないので更に微妙で。。
(てか年齢的に、専門的に宗教学やるのまだ無理や…)
 
宗教とは何かについてですが、
ももんがあまん様が書いておられる通り、
確かに宗教には「神の様な存在を信じる」という傾向はありますね。
しかし、この神も様々です。

まず、キリスト教、イスラム教、仏教等に言えること。
・これらの宗教は神様は絶対的。
・神官職系に就く方より神の方が格が上。
・預言はあり、神の言葉を預かる。
・予言の禁止、又は予言しても何千年も後を予言する。
・だれでも信仰できる。

次に民族宗教。神道とかでしょうか。(この宗教は「神が憑く」という感じがします)
・神と神官職は同等(入れ替わり出来る)立場にある。
・誰でも信仰できると言う訳ではなく、決められた民族のみの信仰。
(信仰するには血縁になる必要がある)
・予言をする。これは巫女等がする訳ですが、予言が外れた場合、予言した者は罰を下される。
・天災などが起こった場合も上に同じ。

オウム真理教等。
・教祖=神、又は教祖が何らかの力を持ち、信者は教祖を信仰する。
・誰でも信仰できる。


私はこれらに共通するのは「救うこと」だと思います。
信じれば救われるというアレです。
人が何故何かを信仰するかと言えば、不安からとかでしょう。
その不安を取り除くために、何かを信仰するのだと思います。
神の創造(神を想像するという行為)も初めは不安からだと思います。
自分の脳の理解する、その限界を超えたもの…これを神とした。
そして神の存在を信じる事によって、限界を知った…。
その「神」はその後、あらゆる不安を取り除く為に用いられた。
何故ならば、人知の限界を超えたものは、人の想像出来るもの、考えることが出来ないもの、全てを司るから。
それはとても都合が良いものです。
そして、その都合の良い存在に、自分が幸せになる為に、楽になる為に、全てを押し付けた。

結果、宗教が違って戦争が起こる、というは何だか滑稽な感じがしますが。
限界の想像の産物に全てを任せると言うのも、また、滑稽なんですけどね…。

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日本の宗教

発言番号:10
名前:
牡5歳
2003年05月14日01時00分

日本の仏教(お寺)=大乗仏教<仏>本当はブッタ(悟りを開いた者)
しかし日本では仏は死人のことだったので先代の人間を祀ることに。結婚式・お葬式がある。
古神道(神社)=天皇様方・自国に貢献された方々を祀る。初詣は大抵こっちで。
キリスト教や西洋の宗教のことは詳しくしりませんが、あと新神道がありますね。
 お坊さんがインドへ修行に行くとかあるようですが、あんまり意味ないですよねぇ祀っているの違うし…しかも釈迦王子の生まれインドじゃないし…


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私の言いたいことを要約すれば

発言番号:11
名前:ももんがあまん
牡5歳
2003年05月22日00時40分

 4月15日の私の長文は、少し長すぎる、従って何が言いたいのかの論
点が、やや見えにくくなってしまっている、と思うので、以下要約しま
す。
 
 1.宗教の起源は、世界の「混沌」を前にした人間の心「不安」にあり
  つまり、起源に於いての宗教的情熱の目的は、「混沌や不安の解消  =合理化(秩序化)」であり、動機に於いては科学と変わるものでは
  ない。(不安の解消を救済と言っても同じ)

 2.科学はより論理的かつ実証的になることによって進化したが、宗教
  は、宗教団体となり、より権威的、防衛的になることによって、
  「思考の停止=閉じた宇宙=権威への依存」となった。

 3.世界のどの宗教団体に於いても、その本質(思考の停止=権威への
  依存)に変わるところは無い。
 
 4.宗教団体が、現実の政治権力とリンクする時、その権威主義と思考
  の停止は、文明という側面に於いては停滞をもたらすし、政治的側
  面に於いては、全体主義(ファシズム)をもたらす。

 5.人類の文明の進歩の為には政治の世俗主義(政教分離)は絶対条件で
  あるし、民主主義と自由にとっても、絶対の必要条件となる。
 
 6.21世紀に於いて、宗教は国際政治の中で、中心的な役割を果たすこ
  とは無いだろうけれど、その周辺部に於いて、変わらず、民族主義
  や国家主義といった同じ種類の幻想と共に手を取り、テロや独裁政
  治の武器として機能し続けるでしょう。

 以上が、私の考える要旨であります。
 多分、これら宗教の実害を癒し、その誤りを合理的に正すことの出来
るものは、同じ動機に根を持つ「科学」以外にありえない事でしょう。
 そして「科学的思考」が、教育と情報のグローバル化により、より世
界に一般的となる限り、希望もある、それが私の考えです。
 
 異論のある方は是非、ご教示ください。

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カルトか オカルトか

発言番号:12
名前:MOMO
牡5歳
2003年08月05日22時02分

27の宝珠宗(泰道)の情報についてに書きこみできませんでした。
ここならできるかな?


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真実は?

発言番号:13
名前:MOMO
牡5歳
2003年08月13日00時51分

あの後、すぐ書き込みしたんですが反映しませんでした。
私は、寶珠宗で生命の作用を使えるようにしてもらってまる13年になります。
生命の作用は結果を出します。人の痛みを軽くしたり、物の味を変化させる事が出来ます。
でも、過去開祖の経歴や色々な問題でマスコミに取り沙汰されました。
私達も、何が本当のことかわかりませんが、寶珠宗に有利と思われる情報に関しては何も、何処も取り上げてくれません。
で、一応こういう事もありましたと公表したく思います。
1993年2月泰道(寶珠宗の前身)がだした、訪米特集号として3ページにわたる米国大統領就任式前夜祭や、それに関する祝賀会、国会議事堂での昼食会への招待など、どれもVIP待遇でメンバーを歓迎しているニュースです。
まあ、これも「金さえ積めば出来る事さ」と言われれば、「そうなんですか」となるんですが。
 
それから、昔、お寺の住職さんがこの生命の作用に出会い「これは、すごい」「ぜひ、自分にもお手伝いさせて下さい」とうちに改宗されたのが、いまの厳妙住職さんです。
これを新聞では、末寺乗っ取りと言われました。

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MOMOさんへ

発言番号:14
名前:道案内
牡5歳
2003年08月14日22時28分

移転前のページに書き込みをされているのでは
一度トップページに戻ってから入り直せば書き込めると思うのですが

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アドバイス有難うございました

発言番号:15
名前:MOMO
牡5歳
2003年08月24日22時24分

道案内さんアドバイス有難うございました。
トップに戻ったんですが、移転処理?されてまして現アドレスになります。
また、書きこみしてみます。

でも、宗教はやはり世の為、人の為、自分の為、この地球の為、この宇宙のため、真理の探求の為であって欲しいですね。

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暫くお待ちください

発言番号:16
名前:道案内
牡5歳
2003年08月25日01時15分

momoさん こんばんは
また調子悪くなってるみたいです。
管理人さんにメールを出したので、もう暫く待たれては。
とりあえずそのページにはここから行けると思います。
http://debate.100man.info/keijiban/read.cgi?6&27&1

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集団のおまじない

発言番号:17
名前:さるさるか
22歳
2003年12月06日06時58分

 なぜヒトは生きるのか。

 人生は楽しいことばかりじゃありません。この問いは、誰もが何度も問い直す問いじゃないかな、と思います。ヒトは悩みながらそれぞれの解を見出し、生きるのだと思います。

 この方程式の解はひとつとは限らない。
 
 ヒトは遺伝子を運ぶ船、なんていいますが、子供を作らないヒトもいますし、それができないヒトもいます。
 生きることを意味あるものにする方法としては、子供を作る、誰かのため、なにかのため生きる、真実を追究する、何かを作り出す、自己成長を見届ける、欲求の追求、ヒトよりもいい暮らし、など様々あるでしょう。生きがいのため、各々、様々な努力が行われます。
 
 でもそれは、物事が前向きに進む時だけ。

 誰しも前に進みたくない時、何度もありますよね?考えて、自分の道を決め、努力する。自己決断し、行動することは誰の言いなりにもならず、自分の人生を生きることは、幸せなはずです。
 
 考え決断することは辛い。何かに従うほうが楽。

 何が正しいかなんてわからない。ましてや、生きる目的などという壮大な目的はそう簡単にみつからず、それをやり遂げるとなると、大変です。不安の中での決断の連続。そんなにヒトは勇敢でいられません。
 しかも、方程式の解き方さえわからないヒトも大勢います。そんな道の見えない人全てが悩むとは言いません。知らないほうが幸せなことだってありますが、分からないことは不安となりえます。また、気づいていても実行できないヒト、脱落者もたくさん。ヒトは弱いものです。

 考えずとも、ルールを守れば、価値のある人生だったと認められる。

 そんな一定集団で守るルール=信仰。

 みんなで決めた約束事が本当に意味があるかは、わかりません。が、その集団に所属するヒトは、そこでのしきたりを守ったヒトを認めるルールを守り、認め合い、その集団は約束された価値ある生に満足して死を迎えることができるのかな、などと思いました。
 
 さらに、 そのルールを、より多くのヒトが守れば、より大きな生の価値になるから、宗教のトップは、信者の成しえなかった生きる価値を、追い求め、おまじないの説得力をあげようとしているのかな。
 こうした生を有意義にしようという、集団のおまじないは、地域で発酵し、文化に化けるのかな、なんて宗教に対して最近思います。
どうなんでしょうね?

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