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提案者基調 |
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学力について 発言番号:2 名前:白いヤツ 2003年01月03日16時33分 学力を上げるためにはどうしたいいか? はっきり言って、学力低下はかなり深刻です。 自分を見てそう思います。私は一応、大学院を卒業しているのですが、最近自分のアホさに文字通りビックリ仰天しています。 卒業論文なんて大した査定にはなっていませんし、大学院試験なんて適当なもんです。 卒業しても、入学したときのままの知能のヒト多いんじゃないかな? 大学の授業で、ある教授が呆れてました、「喋ってるヤツが多すぎる」「授業にも出ず、提出物はみんな同じ内容」「試験をしたらほぼ全員落第点」「高校の内容すら答えられない」等等。 まぁ、そんな状況の中、世の中ゆとり教育なるものが実施されているとか、 どうなんでしょうね? 読み書きができれば、それで良いと考えれば今の教育で十二分ですし、目標を設定することでそれを満たすための教育方針が定まるのだと思えば、どの程度の学力を目指しているのかを議論せざるを得ないのでしょうか? それは大変難しい内容ですよね。ですから、そのことはとりあえず置いといて、学力を上げるためのシステム、というかコンセプトについて議論したです。 今、一部で実施されている「飛び級制度」にヒントを見つけています。 今のところ、ごく限られた一部の大学と、大学院で実施されていますが、それを大々的に、むしろ、小、中、高にも導入したらどういったことになるのでしょうか?問題は山積みでしょうが、学力低下を避ける手段になると思うのですがね。 どんなに学習の程度を抑えたとしても、学習能力に個人差は必ず存在しますし、みんなと一緒に勉強しなくちゃならない論理的な説明も聞いたことがありません。みんなと一緒じゃないとイジメにあうからなんでしょうか?最近のイジメの実態は良く分からないのですが、ゆとりを与えて、子供たちがヒマになってるんじゃないんですか。 最後は余談ですが、学力を上げるための方策としての飛び級制度についてどういった意見をおもちでしょうか。 因みに、私は教育に携わっているものではないので、モノを知らぬと思うことも多々あるでしょうが、学びは人生に関わるものでありますので、積極的に議論していければと思っています。 |
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書き込みありがとうございます 発言番号:3 名前:代理人 2003年01月05日00時34分 工作仮面が大変よろこんでおりました。 工作に成り代わり一言お礼を述べさせて頂きます。 より多くの方のご参加をお待ちしております。 |
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ちょっと失礼 発言番号:4 名前:総帥 2003年01月09日17時27分 >>読み書きができれば、それで良いと考えれば今の教育で十二分ですし、目 標を設定することでそれを満たすための教育方針が定まるのだと思えば、 どの程度の学力を目指しているのかを議論せざるを得ないのでしょう か? それは大変難しい内容ですよね。ですから、そのことはとりあえず置いと いて・・・。 置いとけねいね。それは。 ホントに難しいけどね。でもやっぱりせざるを得ないでしょう。 あんたの議題で話すのはその後だと思う。 何かあんたの議題を否定してるみたいになってしまったけど、 気にせず、討論してください。 |
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そう思います 発言番号:5 名前:白いヤツ 2003年01月14日00時38分 >置いとけねいね。それは。 >ホントに難しいけどね。でもやっぱりせざるを得ないでしょう。 確かに難しい問題です。 何故、難しいかは言うに及ばないでしょうが、やはり価値観が多様化している昨今(好ましい現象です)では特に。 >あんたの議題で話すのはその後だと思う。 私は、この問題を多少なりとも回避できるのではないかと考えています。 つまり、飛び級制度では、勉強したいヒトは先に進むことができ、その程度は自己が満足するまでという今の段階では非常に抽象的で、個人に依存している程度になってしまうのですが、社会全体として学力の程度を規定することはしなくても良いのではないかと思うのです。 一方で、社会人として必要な知識等は現在行われている義務教育の時間と勉強量をセーフティーネットのごとく考えて、実施すればどうかと思うのです。 >何かあんたの議題を否定してるみたいになってしまったけど、 >気にせず、討論してください。 決して否定とは思いません。 他に思うことがあれば、また是非書き込みして下さい。 |
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間違ってたらごめんなさい 発言番号:6 名前:総帥 2003年01月14日21時26分 つまり、下限は無理にでも設定すべきだが、 上限は設定するなってこと? |
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基本的に合ってると思います 発言番号:7 名前:白いヤツ 2003年01月15日00時15分 下限というと難しいのですが、学ぶ行為には訓練が必要かと考えているので、義務教育的に、ある程度の知識を詰め込む時期がどうしても必要ではないのかと考えています。 例えば、読み書きが出来なければ、先人たちの知識を吸収することができませんよね。それに、自分が疑問に思ったことを調べる手段が分かっていなければ、学びたくても学べないという状況に陥るのではないかと思います。 いずれにしろ、少なくとも最低限の学力(この程度も設定するのはむずかしいのですが、現状では中学卒業程度でしょうか?私は高校卒業程度が好ましいと思っていますが。)は必要でしょう。 価値観が多様化することは大変喜ばしいことです。 同一の価値観で競争原理を持ち込むことは、破滅的な結果を招きかねないと思うからです。実際、そんな系は不安定極まりないでしょうが。 私の考えの根底には、価値観の多様化を奨励し、かつ各分野での専門的な進歩を促し、それをリンクさせることができる人材を、より育てやすくするシステムは、どういったシステムだろうか?です。 多分、私は現在のところ(将来においては意見が変わってる可能性は否定できません)、そのシステムを、ある程度の学力(読み書き、調べ方、世の中の不思議を伝えること等)を保証して、後はどのように自発的に自分の学びたいモノを見つけ、その部分に対しての創意工夫を注ぐか、もしくは注がせるような制度が確立できている状態、と考えています。 ですから、私の考える飛び級制度には何らかの特典が必要になってきます。それが問題なのです。もし、単に若くして学力の高い者を奨励(学費等の面で)するというだけでは、価値観の多様化を奨励することにはならないとかんがえるからです。 後、上限に関しては設定は不可能であることを添えさせていただいて。 では、また。 |
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さすがのオレ様も涙目だよ 発言番号:8 名前:総帥 2003年01月16日17時08分 まず質問 特典というのは主にお金ですよね? 奨学金とか国立大学のような設備も含めてますよね? 感想 すごく真面目で純粋な意見だと思いました。 しかも論理的で。 すごく考えさせられました。ありがとう。 >同一の価値観で競争原理を持ち込むことは、破滅的な結果を招きかねないと思うからです。 個人レベルではすごく納得するし、本当にいい意見だと思う。 >価値観の多様化を奨励し、かつ各分野での専門的な進歩を促し、それをリンクさせることができる人材を、より育てやすくするシステム 今の社会ではこんな人材が求められていると思います。 また飛び級制度に関してもすごく納得できるいい意見だと思う。 >私の考える飛び級制度には何らかの特典が必要になってきます。それが問題なのです。もし、単に若くして学力の高い者を奨励(学費等の面で)するというだけでは、価値観の多様化を奨励することにはならないとかんがえるからです。 確かにそうなんですが、言ってることは間違ってないと思う。 なんの矛盾もない。 むしろ今から僕が言うことこそ明らかに矛盾していますけど、 それでも国家レベルとなると現実問題としてちょっとややこしい。 国に価値観の多様性を奨励を要求するのは大変難しいかと思われます。 僕がここで明確にすべきと考えるのは、 多様性の定義というか適用範囲だと思います。 多様性をすべてと解釈すべきなのか? (個人的にはかなり無理があると思うのですが。) 違うなら、多様性の適用範囲があるとすればその境界線は 誰がどのように決めるのか? 少なくともあなたはどのように決めるべきだと考えていますか? ちょっと僕には難しすぎる問題で、的外れなレスになって しまっているかもしれないんで、 そんな時は恐縮ですが御指導御鞭撻のほど宜しく御願致します。 |
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難しいですね。 発言番号:9 名前:白いヤツ 2003年01月19日12時19分 >特典というのは主にお金ですよね? >奨学金とか国立大学のような設備も含めてますよね? そのよに考えていますが、それだけではどうも足らないような気がしてしまいます。 つまり、私がこれまでに既存の教育システムに基づいてやり取りしてきたことがら、抜け出せていないからなのかもしれません。 既存の教育システム、というのは、「お金を払って」(税金にしろ何であれ)、「知識を得る」という流れのことです。 ですが、多様性(質問に対しては後に記載します)を求めるのであれば、既存の教育システム以外、例えばボランティア的なもの、その他は思い浮かばないのですが、料理であれば、弟子入りする等、そういった、求めに対する受け皿の広がりを促すことも忘れてはいけないと思うのです。 もはや、私の思うシステムには、国民意識の変革が必要なのですが。 正に、「夢を買う」思考、システムの確立などという夢のようなお話です。 >多様性の定義というか適用範囲だと思います。 >多様性をすべてと解釈すべきなのか? >(個人的にはかなり無理があると思うのですが。) >違うなら、多様性の適用範囲があるとすればその境界線は >誰がどのように決めるのか? 非常に難しい質問です。 確かに、国家としての教育システムの構築を考えるなら、多様性の程度はおぼろげながらも限定する必要があります。 ですが、私の思う多様性とは、すべてであることを願います。 しかし、公序良俗を侵さない程度とう道徳基準は必要です。 殺人者やテロをも含めた、多様性ではありません。 まぁ、そんな無茶なことを突っ込んでくる方ではないと思いましたが、一応。 多様性をすべてであるとしても、国家として支えることのできる範囲には限界があると考えています。 要するに、国家の教育システムとしては、プラモデルを上手に作れるヒトや、ラーメンをおいしく作れるヒトを養成することは、無理だと考えます。 国家としては、既存の教育分野での教育システムを、評価システムを変えることで、既存の教育分野での多様性を生み出せ、みんなと同じではなく、自分の求める方向により進みやすくできれば、それでいいのではないかと思います。 では、それ以外の多様性はとういと、先にも述べましたとおり、国民意識の問題なのかもしれません。 少子化がすすみ、なぜかこぞって塾に入れ、一様な勉強をさせる教育環境をはずれなくてはなりません。 私の、属する高校の学区には、その学区のトップにかなりの人数を入学させる「塾」があるのですが、その学校では3人に1人がその塾の出身者です。 この学区のそのトップの高校の進学先は、他の学区のトップの進学先と比べると格段に落ちるのです。 与えられて、一様な教育をされ、高校に入り塾を離れては勉強できない「お受験マシーン」を養成した結果です。 多分、そんなヒトは大学に入っても、自分の勉強法というか、勉強したいことを見つけ出せずに、困るのではないでしょうか? 大学とは、本来、義務教育ではないのだから、自分で学ぶことが無いなら行く必要は必ずしも無いのではないでしょうか? それでも、何を学ぶでもなくとりあえず、行っているのが現状ですよね。 でも、そこで何かを学び、新たな道を見つけるヒトもいることもまた事実です。 ですが、考え方として、より多くの道を模索する可能性を保証できる社会を促したいです。 どうしたら良いか? もはや、壁にぶち当たりそうなのですが、続けると、 初期教育における価値観の多様性を促す教育です。 単純に、こんな道がある、こんな道もある、こんな面白いことがある、こんな問題がある、とかの提示しか今は思いつかないのですが、 それを何とかできれば、と思いつつも、 親が塾に入れ、お勉強マシーンを養成しようとすることを止めなければ、元も子もないのですが。 どうしたらいんでしょうね? 壁にぶち当たりましたので、また。 ちょっと僕には難しすぎる問題で、的外れなレスになって しまっているかもしれないんで、 そんな時は恐縮ですが御指導御鞭撻のほど宜しく御願致します。 |
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ながっ!! 発言番号:10 名前:総帥 2003年01月26日00時15分 あなたの「夢を買う」思考は、実現できるかどうかは別として すばらしい意見だし、賛成できます。 残念なことにあなたが壁にぶつかったあと、 僕にはその続きをどうこうできませんでしたので。あしからず・・・。 やっぱり社会を変えずに、教育を変えるのは厳しいと思う。 社会を変えたいから、まず教育からなのか 社会を変えれないから、とりあえず教育からなのか 文部科学省の理念というか目的が僕には全くわからないが 最近騒がれている偏差値教育の廃止、ゆとり教育、心の教育等 (聞こえはいいが、かなり抽象的でイマイチ意味がわからない) これらを実践するのに、授業日数を減らし、成績の順位をなくし、 実力テストを廃止(ウチの中学校)し、最近ではいろいろなことに 順位をつけるといった差別化をやめているようです。 ただ残念なことに、全く成果がでていない。むしろ増長させている それは社会では勉強のできる子への需要が大きいからにほかならない。 つまり教育システムが間違ってるから、受験が激化したわけではなく 社会での現実がそうさせたのだと思う。 つまり社会が国民意識をかえた。 それを教育から、子どもから、そして親から社会へと その意識をかえるのは厳しい。 子どもからしたら、ほんと迷惑な話だ。 学校と社会、教師と親、完全に板ばさみになってる。 (個人的に、最近ではこういうことも大事かなとは思うけど、現実に耐えれない子どももいるからなぁ。) 成果がでない理由はまだある。 まず今の学校には全く信頼がない。 親(大人)からだけじゃなく、生徒(子ども)からも。 なんでかなぁ?相次ぐ不祥事のせいかな? 教師が親(国民意識)を黙らせるほどの力がない。 (これも力があったらあったで、また問題になりそうだが) 昔に比べ、親も生徒も賢くなった。 それに比べて、教師のレベルはあまりかわらないと思う。 もしそうなら、これも信頼がなくなった理由の一つかなと思う。 極端に言えば、凶悪化する少年犯罪なども含めて、 今、教育問題とされているほとんどは 社会が悪いのであって教育が原因ではないと思う。 つまり、下からではなく、上からの改革が必要だと思う。 ではどうしたらいいか?すみません。僕にはわかりません。 (教師に力を持たせるのもどうかと思うし・・) 今の教育になんの問題もないというわけではないんです。 (話が大きくそれはじめたので、もどします) >初期教育における価値観の多様性を促す教育です。 >単純に、こんな道がある、こんな道もある、こんな面白いことがある、こんな問題がある、とかの提示 これはマジ納得!そうなんだよね。 たぶん生徒が(少なくても僕がそうだった)期待してるのってこういうこと なんだよねぇ!子どもであるがゆえに見えない部分にヒカリをあてて ほしいだけなんだよねぇ。 まだいくつかあるけど、また今度。 |
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具体案は何もないけど、、 発言番号:11 名前:白いヤツ 2003年02月11日19時16分 確かに優秀な人を育てることに関して、社会は非常に疎いと思います。 「優秀な人」?って、どんな人なんだろう? 勉強の出来る人? 確かにそれは、一つの見方かもしれないけど、多分生きる力だと思う。 勉強できなくったて、楽しく生きてけるよ。 要は、自分が生きていける道、生きたいと思う道を見つけることができるか、そして、それを見つけたときにどれだけの努力を注ぐことが出来るかだと思う。 どんな道でも、努力は必要だし、それなりの創意工夫は必要だと思う。 生きるってことは、単に心臓が動いていれば良いってもんじゃないし。 では、どんな生き方がいいのか。 私は、自分の考えることを全てではなくても実現でき、そこに今までの経験を盛り込むことが出来れば、今までの自分が頑張ってきたことがこの時に通じたんだと思うことができる。それが一つの私の生き方です。 また、友人と食卓を囲んで、色んな話をすることも、私の人生には大切なことです。 これは、教育自体の問題ではないのかもしれない。 でも、もし単に勉強のできる人を優秀な人とし、そういった方を育てることを目標とするシステムの元では、私は余り楽しくないのかもしれない。 っと、まぁ、的外れなことを書きながら。 さて、最近でた記事なのですが、勉強してるっていうか、有名大学に入っている人と、その方の親の年収とに非常に相関関係があるってことらしい。 つまり、金持ちの子供でないとちゃんとした教育は受けられない、ってことなのらしい。 みんな同じように税金払ってるのに、受けることのできる教育の質に差があっるってどういうことよ。 単純に、教育を公共的に考えるなら、同じ国民に与えられる教育の質は統一されているべきなのでは?っと思ってしまいます。 ですが、担任の先生にも個性があって、画一的に統一するなんてことは不可能なのは分かってるのですが。 どうなんでしょう。 教育熱心な方と、そうでない方。 もしかしたら、教育熱心であったのに、そうでなくなった方。 どうして、熱心になれないんでしょう? 総帥さんのおっしゃる通り、親(国民意識)がしゃしゃり出てきて、自分の子供は、とか、内の子に限って、とかすっ呆けたこと抜かす人を相手にするとそうなるのでしょうか? 問題は、山積みですね。 この前、テレビで、家から学校への登校の際に、タバコの吸殻を拾って集めてる子供の話がでてました。その子が拾っている側で、おっさんがタバコのポイ捨てしたらしい。国民意識の低下は甚だしい、と言わざるをえないでしょう。 上の例は、あまり身近ではないですが、駅のホームで清掃の方が清掃した後、すぐにポイ捨てする人は良く見かけます。そして、誰も注意しません。そして私も。そういう雰囲気が、国民全体に広まってるんでしょうね。 そんな知らん顔主義の蔓延した中では、「内の子は違う!」なんて叫ぶ親は必然の産物なのかもしれません。 どうでもいいことですが、私はそうならないように心がけて見ます。 教育を変えるには、国民意識の変革が必要なんですね。 大変です。 子供の学びだけではありません。 大人だって、自分のやりたいことを改めて探すために、新たな学びの場所が必要なのです。 そして、そういった方を受け入れ、教育を提供できる社会。 さらに、新たなチャレンジを受け入れる社会。 そんな社会の実現は無理なんでしょうかね。 |
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遅くなりました 発言番号:12 名前:総帥 2003年02月23日00時54分 金持ちしかちゃんとした教育を受けられないって話だけど 非難覚悟で書きます。 都会=金持ち=親高学歴=そんな親の教育=子ども高学歴 田舎=貧乏=低学歴=そんな親の教育=子ども低学歴 こんな感じで循環してると思う。 僕は後者なんだけど、僕の田舎は進学率が異常に低い。 港町だからなのか。極端な話、大学生っていうだけで白い目で見られる。 そんな彼らの大抵は親が低学歴でそういう教育を受けてきている。 大学でたからなんだ?って感じでね。 別にそれが正しいかどうかは別にして 地域全体でそんなムードが漂っている。 そんな中、珍しくまともな大学に進学した僕だが 大学に入って驚いたのが、大抵の親が高学歴。さらに金持ち 地元では別に貧乏ではなかったが、大学に入り、全国で比較すると 僕の家がむしろ貧乏なのでは?と思うほど。 ちなみに僕の親は中卒。 言っておくが、これはあくまで予想であり、すべてじゃない。 あと教育熱心の話だけど その熱心がどういうことなのか、あなたの文章からは読み取れないのですが、 僕の個人的な経験で言わせてもらうと 僕の人生で教育熱心な教師に巡り合ったことがない。 みんな生徒の心に入ろうとしない。 我関せずみたいな教師がほとんどだった。 僕はこんな人生にかなり満足している。 何を言いたいかというと 教師にできることなんて限られてる。 勘違いしてる教師が多すぎる。 おまえらの影響力なんてたいしたことない、と言いたい。 マニュアル通りに動くのがベターかなと思う。 別に教師が嫌いなわけではない。むしろ昔は教師を目指すほど好きだった。 |
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いい教師か!? いい人か!? 発言番号:13 名前:もなか 2003年04月21日19時18分 親の収入と子の学歴に関係があるというのは、やはり、 高収入でゆとりのある方がより豊かな学問に専念しやすい 環境を用意できるかどうかの違いなのでしょうか。 私はまだ高校生ですが、そりゃあ、もう、 行く所が必然的に決まってしまう中学校よりも 自分で決めた高校の方が、自分のタイプにあっています。 なぜか自分に似たタイプの友達も多くでき、自分の好きな勉強に励んでいます。 私の場合は公立でしたが、もしその人が行きたいと思う、 学んでみたいと思う学校が授業料の高い学校だったら…? その時、やはり親の収入が関係しているのですかね…… ところで、高校2年生になったら、1年生の時とは違って 選択教科が与えられます。私は幸いにも、充実した授業を受けることができましたが、 ある一方で、いわゆる「ヤな先生」に当たってしまった子がいます。 教科自体に興味はあっても、授業を実際に行なう先生自体に問題があり、 本当に学んでみたかったことが一変して「嫌いな教科」に変わってしまう。 そんなこともあったそうです。よくよく考えてみれば、 「先生に誉められたい一心で勉強した」「先生の授業が楽しいから好きになった」 という話は私の周りにもよくあります。 私としては、「教師による影響」は非常に大きいのではないかと思います。 しかしそれは「教師」であって、「先生自身」であるわけではありません。 生徒にとって望ましいのはやはり「いい人」ではなく「いい教師」です。 いくら話がおもしろくて、優しくて、若くてかっこよくても、 授業が良くなければなんの意味もありません。やはり、 どんなにぶっきらぼうでも、厳しくても、話が合わなくても、 私たち生徒の「?」を「!」に変えてくれるのが一番なんです。 (そんな先生は大勢います。友達みたいな先生と、説明の上手い先生は別です。) |
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学ぶ? 発言番号:14 名前:低学歴 2003年05月29日16時21分 学力とは何? 勉強が出来る事? 字のごとく学ぶ力を養う事じゃないかな 教育とは 教養の中に入るのでは 知識と学力とは違うと思うが この社会で高学歴の人がたくさんいるが? 机上のことには優れているけど 実体験が、少なく苦しんでいる人が多いのでは |
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同感 発言番号:15 名前:総帥 2003年06月11日16時35分 学歴の話だけど、僕の個人的な経験からの実感と推測なので、 比較的多いというだけっす。 でもいろんな面で富裕層というのは有利かと思っていますけどね。 経験・人脈とかね。学歴だけでなくて、その後の人生においても。 別に貧乏人にチャンスがないと言うわけではないんですが、 明らかに富裕層が有利だと思いますね。 教師の話ですけど、 >>私たち生徒の「?」を「!」に変えてくれるのが一番なんです。 って名言ですね。 納得です。それって限られている教師にできることの一つだと思います。 1つの教科書終わらせるのに何時間費やしてんだと思うのです。 人にモノを教えることがヘタクソすぎる。 だからみんな塾に行くんでしょ?学校がきちんと教える事ができれば、 誰も塾なんか行かないよ。そしたらゆとりも生まれる。 ゆとり教育の完成。なのに政府は授業日数を減らしたなんだで、 逆行してるように思う。挙句の果てには心の教育だとぬかしている。 バカな教師に限って人間力で勝負!ってな感じだな。 話が飛びました。 私が思ういい教師とは勉強の教え方がうまい教師かな。 影響力の定義が違いましたが、いい教師の定義は一致してると思います。 勉強以外で教えられたことも多少あるけど、 全く役に立っていません。幼稚園の先生が教えてくれたことの方が 役に立っています。 |
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非常に遅くなりました。 発言番号:16 名前:白いヤツ 2003年08月12日02時09分 総帥様、ご無沙汰しておりました。 さて、「もなか」さんの言う、 >親の収入と子の学歴に関係があるというのは、やはり、 >高収入でゆとりのある方がより豊かな学問に専念しやすい >環境を用意できるかどうかの違いなのでしょうか。 っていう意見は残念ながら認めざるを得ないと思います。 確かに、勉強するには環境って結構大事です。 周りの友達がみんなしてどこかに遊びに行くって言ってる中、一人で勉強しようなんて中々出来るものではありません。 一方で、周りの友達がみんなして勉強している中で勉強するのって、上の極端な例から比べると大変勉強し易い環境にあることは確かでしょう。 では、親の収入が高くなければそういった環境に巡り合えないか?というとそうとも言い切れませんが、学校が駄目なら塾っていう手段もあることからすると、勉強し易い環境は得易いってことになるでしょうね。 (この話の中では両極端な生活レベルの環境下にいる人は対象となっていません、念のために。) >私はまだ高校生ですが、そりゃあ、もう、 >行く所が必然的に決まってしまう中学校よりも >自分で決めた高校の方が、自分のタイプにあっています。 >なぜか自分に似たタイプの友達も多くでき、自分の好きな勉強に励ん>でいます。 これも納得です。 さて、「良い教師」っていことについて少し私見を述べさせていただきます。 「良い教師」が「良い人」である必要は必ずしもありませんが、質問を気軽にできる先生が良い教師の条件ではないかと思います。 これは親しみやすさや、信頼性っていうところに起因するので教育体制やその他制度的なもの云々っていうよりは個性の問題なので、議論の余地には入らないのですが、まぁ、少なくとも人間的に問題のあるタイプの方でなければ、人間性は「良い教師」においてそれ程重要な要素ではないような感じを持っています。 親しみが持てても、教えるのが下手な先生は「良い先生」とは言いがたいです。生徒に煽てられて、授業と関係のない話を長々としてしまう方は問題にならないでしょ。 私が主張したいことは「教え方が上手い」っていうのはどういうことか?です。それは、単に問題を分かりやすく解いてみせることや、問題の解き方を上手に教えることではなく、自ら問題を解こうとする気持ちにさせる人だと思うんです。 それはそうでしょう、って思うと思いますけど、それをどうしたら良いのかって伝えるのが難しいんですよね。 ちょっと、内容のない書き込みですが、今日はこの辺で。 |
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ご無沙汰です 発言番号:17 名前:総帥 23歳 2003年09月14日02時46分 自ら問題を解こうとする気持ちにさせる人って 生徒をできるようにすることだと思いますね。 具体的には生徒の偏差値を上げてやること。 やっぱり人間できるとやりたくなるし、 できないことはやる気にならない。 だから結局いい先生とは、やっぱり 教え方がうまい先生なんだと思いますね。 |
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